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INTERVIEW インタビュー

3DCGの未来
〜CGアニメとメディアリレーション〜

太田 豊紀
【第42回/2022年2月号】
太田 豊紀

日本におけるフルCGアニメーション制作への理解と振興を目指す本連載ではCGアニメと関係するさまざまなキーパーソンにお話をうかがっていく。今回は「ニコニコ動画」で知られるドワンゴの共同創設者の太田豊紀氏に話を伺った。2000年代初頭の携帯電話コンテンツビジネスから、大型アニメソングライブフェスの立ち上げ、そして現在はリアルタイムCGアニメ会社LOGIC&MAGICで代表を務める太田氏。ジャンルを横断したエンターテインメントビジネスの設立の話と、その経験に基づくCGアニメの展望と可能性について聞いた。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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ドワンゴ設立と草創期のネットビジネス

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):太田さんはドワンゴの設立メンバーで、その後さまざまなコンテンツ会社で指揮を執られてきて、現在では、モーションキャプチャーを利用したCGアニメーション制作のLOGIC&MAGICと、背景美術の「でほぎゃらりー」で代表取締役社長を務められています。このインタビューではそうしたさまざまな会社の「設立」の物語をベースに伺っていきたいと思います。まず、ドワンゴ創業者である川上量生さんとの出会いから教えていただけますか?

太田 豊紀

太田豊紀(以下、太田): きっかけは『DOOM』(※)という3DCGシューティングゲームです。当時、僕と彼はそれぞれ異なる方法でこのゲームのオンライン対戦サービスを構築していた、いわばライバル同士だったんです(笑)。1990年代中盤は現在のようにインターネットで通信対戦ができるような環境はなく、LAN接続で対戦をするしかありませんでした。そんななか、パソコン通信上でそれを擬似的に行ない、対戦のマッチングサービスをするサービスがアメリカに登場しました。これが「DWANGO」(Dial-up Wide-Area Network Game Operation)です。僕は「DWANGO」と似たような「X Dimension(クロスディメンション)」というサービスをソフト開発会社に作ってもらい、川上さんは「DWANGO」を運営していた米国のインタラクティブヴィジュアルシステムズ社(以下「IVS社」)と契約し、日本での運営権を獲得しました。大きな違いは「X Dimension」はMS-DOSベースで作っていたのですが、IVS社はマイクロソフトの支援を受けてWindows95にいち早く対応していたこと。ここで僕のサービスは負けたんです。ただ、その直後にソフトウェアジャパンが倒産してしまい、日本における「DWANGO」の代理店がなくなり、彼が有限会社ドワンゴジャパンを設立することになりました。そこで僕を誘ったんです。彼は起業自体が「気の迷いだ」と言いましたがね(笑)。その後僕が元いた会社やIVS社ほか、その当時関わっていた方が何人か出資してくれまして、株式会社ドワンゴを2人で設立しました。1996年から7年にかけての出来事でした。

(※)『DOOM』
米id Softwareが開発した一人称視点のシューティングゲーム。プレイヤーは3DCGで制作されたエリアの探索と銃撃を行なう。ホラーゲーム的な描写も特徴。多くのフォロワーゲームを生み、以降このジャンルはFPSと呼ばれる。MS-DOS版1993年12月発売以降、さまざまな機種に移植されシリーズ化した。最新作は『Doom Eternal』(2020年)。

野口:ドワンゴの事業は「DWANGO」の日本での運営以外にはどんなものがあったのでしょうか?

太田:その後、まもなく人気インディーズゲーム制作集団である「Bio_100%」のメンバーが合流し、ネットワークゲームの開発受託も始めました。ドリームキャストの『セガラリー2』や『バーチャロンオラトリオタングラム』の通信対戦部分を「DWANGO」に対応させる仕事でした。「DWANGO」はDirectXのDirectPlayを使っていたので、マイクロソフトも戦略として支援していましたし、ドリキャスもWindows CEベースで作られていたので相性がよかったんです。当時はオンライン前提のゲームのほとんどは海外製で、日本のゲームは本当に少数でした。

野口:まさに現在のオンラインでのゲーム対戦を先取りしていたんですね。でも当時の回線の状況ですと、現在のようなハイスペックなオンライン対戦の隆盛は想像もつかなかったでしょう。そういったネットワークゲームの開発を進めて、次はどんな事業が?

太田 豊紀

太田:ドワンゴの歴史的にはiモードのゲームのヒットがあります。ただ、僕は1997年に8月に設立したあと、'98年の2月に一度ドワンゴを辞めているので、それ以降しばらく離れています。通信対戦のサービスの会社になると思っていたのが、受託開発がメインになって僕はその営業をすることになり、そういう仕事をやるために入ったつもりはなかったので。その後、古巣の会社に戻り、Napster(※)のMIDIファイル版を作ろうと思ってNTT-X(現・NTTレゾナント)と企画を進めていく中で、ドワンゴに話を持っていったところ、「それよりも着メロ事業をやろうよ」と川上さんに口説かれたんです。僕としてはそれも音楽ビジネスの一つかもなと思って再び加わり、2001年の4月にドワンゴの子会社として株式会社コンポジットを設立し着メロ配信サービスの「16メロミックス」を始めたところ、これが大ヒットし東証マザーズ上場にまで持っていけました。当時のドワンゴの売上の90%以上は着メロでしたね。

(※)Napster
インターネット網を使った個人間通信によるファイル交換アプリ。2000年前後に世界的に流行し、音楽ファイルの海賊版が横行し、音楽業界は大きな打撃を受け訴訟に発展した。2000年代中盤にデジタル著作権管理技術(DRM)を使用した「Napster 2.0」として合法的な音楽配信サービスを展開。日本ではタワーレコードと本社で合弁会社を設立し、NTTドコモの公式コンテンツとしてサブスクリプションサービスを展開した。

野口:「16メロミックス」の大ヒットにはどんな要因があったのでしょうか?

太田:他社よりも圧倒的に質が良かったことが大きな理由だと思います。当時の着メロの作り方は割と適当で、カラオケ用のMIDI音源を削って16和音にするだけだったんですよ。それを真面目に1から作ったのはドワンゴが最初だったと思います。これには僕自身が高校の時にDTMをやっていた経験が生きていますね。その頃PC-9800に入ってたサウンドボードと、2001年頃の携帯電話のサウンドボードがほぼ一緒だったので、仕様を固めて音大生チームに作ってもらったところ、他社よりも圧倒的に質が高いものができあがりました。

野口:当時、高校生でDTMをしている人は他にいました?

太田:いえ、周りでは僕だけですね。パソコンに触れるのが早かったんです。小学校のときにPC-8001に触れたのが最初で、中学入学の時にお祝いでPC-8800を買ってもらってBASICをやっていました。高校・大学は9800ですね。

野口:その頃はパソコンの知識があれば就職で重宝したでしょう?

太田 豊紀

太田:それは真面目に就職をする人の場合(笑)。僕は作曲家になろうと思っていたんで。最初に就職した五橋研究所も、別に僕はRed Hat Linux(※)を売りたかったわけではなくて、Laser5というCD-ROMショップを経営していて「CDというからには音楽と関係するのかな?」と思ってアルバイトの面接を受けて入ったくらいですから(笑)。そこで最初にお話しした『DOOM』に出会ったんです。当時、Laser5では並行輸入品を扱っていて、日本の代理店を通したバージョンは9800円くらいのところを5500円くらいでしたから、たぶん日本一『DOOM』を売ったショップじゃないかな。FPSなのでマニュアルが英語でも問題ないんですよね。他にもユーザーが作ったマップを本にして売ったりもしました。僕が企画したプロダクトはそれが初めてでした。

(※)Red Hat Linux
IBMの子会社・レッドハット社によるLinux用プログラムのディストリビューション(総合パッケージ)。1995年から2003年まで開発されていた。リリース当時はDOS/Vパソコン上で高度な動作を行なうことができたため、当時のパソコンマニアが輸入ゲームをプレイするためにこぞって入手した。Laser5では草創期から日本語翻訳版を販売していた。事実上、独占に近いほど売れたため、'96年にはメインプロモーターとなった。

ニコニコ動画の旋風と次への一手

太田 豊紀

野口:時間軸を戻すと、アニメロサマーライブの設立も着メロがヒットした頃ですよね?

太田:2005年が初回です。これは「16メロミックス」から独立してアニメ・ゲームソングに特化した「アニメロミックス」というサイトのプロモーションイベントとして始めたライブフェスです。僕は2021年までエグゼクティブプロデューサーを務めていました。当時はレコード会社をまたいだ大規模アニメソングフェスは存在していなかったので、方方への交渉といった土台作りから模索していきました。といっても、密接に関わったのは1年目だけで、以降は毎年のテーマとテーマソング、オープニングのアーティストコラボとトリを誰にお願いするかだけを決めて、あとはプロデューサーと現場に任せていました。ライブセットリストも開催当日にもらっていたほどです。あの頃は事業本部長を担当していたので、本当に忙しくて開発のラインの面倒を見なくてはいけなかったので、そのくらいしか関わることができませんでした。

野口:時計の針を進めて、ニコニコ動画の開設の話を聞かせて下さい。

太田:当初はネット上でライブ配信をしようという企画だったんです。

野口:それもまた時代を先取りしていますね!

太田:そうなんです(笑)。今でいう「SHOWROOM」みたいなものを2005年にやろうとしていました。そこでプロトタイプを作っていく中で、コメントを動画にオーバーレイさせる機能を社員が開発して、簡易的にYouTubeの動画に重ねて流してみたら面白いとわかり、そのまま実装したというわけです。それで2006年の12月にサービスを開始したところ、あまりの高い負荷にYouTube側から数ヶ月でBANされたので自前のサーバーで運営することになりました。

太田 豊紀

野口:当時、動画用のサーバーを立ち上げるのに相当な資本が要ったのでは?

太田:そのとおりです。最初はレンタルサーバーでした。僕の記憶が間違っていなければ、川上さんが当時の小林社長のところに行って、相当額を直談判してきました。サービス開始当初から大ヒットするのがわかっていたので、これは勝負のしどころだと言ってOKを取ってきた記憶があります。

野口:ニコニコ動画大ヒットでドワンゴという会社が全国的に知れ渡ったんですね。

太田:そうですね。事業としては着メロのときから全国規模でしたが、「16メロミックス」というサービス名で知られていて、ドワンゴという会社を皆さんに知っていただけたのはニコニコ動画だと思います。その当時は社内の全リソースをニコニコ動画に集中させていきました。まるでWindowsのときのマイクロソフトのように。だけど、2011年ぐらいになると川上さんがニコニコ動画に飽きてきてしまって(笑)。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーのところに見習いに行ってしまったんです。

野口:ニコニコ動画のようなUGC(※)サービスは、型を作ってしまえば後は改善の作業になるので、その時間を利用して次のサービスを開発していくことになるかと思うのですが、ニコニコ動画は一度軌道に乗ってからのアドバンテージが大きすぎたのでしょうか。

(※)UGC
User Generated Contents。そのサービスの一般ユーザーが生成するコンテンツの総称。投稿サイトやSNSにおける動画や音楽、文章を主に指す。

太田:そこが難しいところです。基本的にネットサービスは数年で廃れることを繰り返してきました。つまり、ずっと旬であり続けられることの方が稀なんです。ニコニコ動画もニコニコ超会議とかニコファーレといった、リアルの場への展開を含め、新規性のあるサービスを次々と投下しつづけ、旬であり続けることを目指していきました。

太田 豊紀

野口:2011年に川上さんがジブリへ見習いに行ったときに、太田さんはどうしていたんですか?

太田:その頃は僕もニコニコ事業本部長担当を後進に譲って、海外視察という名目で年の半分くらいは海外旅行していました。そのあと、川上さんが『山賊の娘ローニャ』(2014年)のプロデューサーを務めることになり、僕がビジネス側で対応することになりました。着メロもそうでしたが、川上さんのやることに振り回されることが多いですね(笑)。だから僕のキャリアにはあまり脈絡がないんですよ。『ローニャ』は、僕が最初に携わった3DCGアニメとなりました。

野口:お話を聞くと最初に出会ってからずっと、川上さんは太田さんを頼り続けているような気がします(笑)。

太田:だいたい僕か横澤専務を指名してきましたね。たぶん、100%言うこと聞く相手だからじゃないですかね?(笑)。でも、僕も川上さんを100%信用している。

野口:『ローニャ』の経験が、今のVTuberやリアルタイム系に生きているのでしょうか?

太田:その間に、世に出なかった企画があるんです。とあるツテでタイのCGスタジオでテストフィルムを作っていたんです。ドワンゴとしては川上さんと荒木社長(当時)がとても張り切っていました。このうち短い1本はテストフィルムとして完成させましたが、長編の方はお蔵入りになりました。タイのスタジオも「日本のCGアニメの作り方が学べる」と、最初はモチベーションが高かったのですが、そもそも日本側のスタジオの要求もワークフローも、そこのスタジオがそれまで経験してきたハリウッドスタイルと違いすぎて上手く行かず、完成したカットはゼロだったと思います。ただ、これはこれで教訓になりました。少なくとも海外を使うときにこのやり方では効率が悪すぎるということになり、モーションキャプチャーに舵を切り、ドワンゴでアニメスタジオを作ることにしました。『SDガンダムフォース』のCGプロデューサーだった松野美茂さん(現 LOGIC&MAGIC取締役:トータルシステム・スーパーバイザー)と出会ったのもこの頃です。

太田 豊紀

野口:当初からTVシリーズを作るつもりでアニメスタジオを作ろうとしたのですか?

太田:そうです。2016年の12月に松野さんに来てもらって、半年くらいかけて人を集めたりスタジオ作りを進めていったりしました。これが「TUNEDiD film」です。そうしていくうちに2017年末にVTuberブームが一気に到来し、ニコニコ超会議に出演してもらったり、VTuberの番組を作ったりする一方で天王洲アイルにモーションキャプチャースタジオ「TUNEDiD Studio」を設立しました。2018年の4月には完成して、6月頃だったと思いますが、ニコニコの超会議の部署からVTuberのアニメを作ろうという企画が持ち上がりました。それが『バーチャルさんはみている』(2019年放送)です。オープニングアニメーションは「TUNEDiD film」で作りましたが、本編はニコニコ超会議の部署の担当です。モーションキャプチャースタジオとしては、いろいろ勉強できましたが、シリーズを作るという意味ではサポートに徹していた形です。TVシリーズのアニメーション作品は『セスタス -The Roman Fighter-』(2021年)が最初ですね。

リアルタイムCGの未来と可能性

野口:そして2019年に太田さんはドワンゴから独立されて「TUNEDiD」を母体にLOGIC&MAGICを設立されました。これにはどんな理由が?

太田 豊紀

太田:2019年2月にドワンゴが非常に厳しい決算となることを発表しました(※)。当初の計画では「TUNEDiD」に対して3年目くらいまでは投資を続け、その後で黒字化させる計画だったのですが、グループ内で状況が変わってきたので、川上さんと夏野(剛・ドワンゴ社長)さんにお願いして、LOGIC&MAGICとして分社化させてもらいました。

(※)https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/tdnet/1675327/00.pdf

野口:美術会社の「でほぎゃらりー」はアニメ制作の一環として?

太田:これはまた全然別の文脈です。2014年にスタジオジブリの制作部門が解散するとなったときに、「背景美術スタッフは一度解散するともう二度とこのチームを集めることができない」と、スタジオポノックの西村義明(※)さんが川上さんに伝えて、ドワンゴとカラーとポノックの出資で設立しました。2016年から二代目の社長に就任しています。正直、「元ジブリの美術チームの会社」というバリューで引く手あまたですし、コンセプトアートの受注のほか、アニメ以外のさまざまな背景美術の仕事もしています。労力に見合った価格で請ける努力もしているので、スタッフさんにはアニメ業界の中ではそれなりの給与水準で仕事をしてもらっていると思います。

(※)西村義明
スタジオジブリに入社後、宣伝担当を経て高畑勲監督『かぐや姫の物語』のプロデューサーを5年にわたり続け、完成にこぎつける。『思い出のマーニー』プロデューサーを担当後の2015年に独立しスタジオポノックを設立し代表を務める。

野口:ここまで、駆け足で太田さんのキャリアを振り返っていただきましたが、CG,歌、ネットワークとこれまでの経験がすべて生きてくるのはメタバースだと思うんです。つまり、これからますます太田さんの時代がやってくるのではないかと。

太田:いえいえ(笑)。しかも、僕は過去に「ai sp@ce」(2008年10月~2011年6月)というメタバースの事業を手掛けたことがありますし、ドワンゴとインフィニットループの合弁で「Virtual Cast」があるので、そこには行きませんよ。最近注目しているのはVTuberのライブです。2時間のコンテンツをCGで作ると考えた場合、これほどコストパフォーマンスが高いものはありません。コンテンツを出す先はメタバースでも映画館でも配信でもいいわけです。LOGIC&MAGICはモーションキャプチャーを利用し映像を作る生産性を高くすることをコンセプトにしている会社なので、今後はどんどんリアルタイムの方に行くと思います。

野口:いろんな企業がその方向を向いていますが、なかなか手を出せずにいて、どこが本当にそれを軌道に乗せるかが業界の注目を集めています。

太田:やっぱりVTuberから行くのが正攻法かなと思います。現在のVTuberの配信は、映像作品として見るとまだまだです。CGも貫通しまくっているけれども、それを視聴者は半分目をつぶってくれています。だからちょっとクオリティ上げるだけで大幅なアドバンテージになります。全部リアルタイムにしてUnity内にCGアセット入れて、撮影を入れればひとつのコンテンツとして完パケまできてしまう。それこそ『バーチャルさんはみている』のようなシチュエーションコメディにも応用が効く方法だと思います。現在、弊社では日本テレビの深夜番組『プロジェクトV』<https://www.ntv.co.jp/projectv/>で、技術協力をしています。テレビ局が本気で作っているバラエティ番組なので、一般的なバラエティ番組と遜色がありませんし、そこにVTuberが加わることで新たな化学反応が生まれようとしています。実はそこに結構高度な技術を用いているので、この分野はまだまだ伸びしろがあると思いますよ。

参考文献:佐々木俊尚著 『ニコニコ動画が未来を作る』(アスキー新書、2009年刊)

太田 豊紀 取材

太田 豊紀 :Toyoki Oota
1969年愛知県出身。神田外語大学を卒業後、1993年に五橋研究所に入社。1994年にランドポートに転職。1997年、ドワンゴを共同創設し取締役に就任(2006年副社長)。2001年にドワンゴの子会社としてコンポジットを設立し代表を務める。2005年にアニメソングライブイベントのAnimelo Summer Liveを創設、エグゼクティブプロデューサーを務める。2015年MAGES.代表取締役社長に就任。2016年でほぎゃらりー社長就任(現職)。2019年にLOGIC&MAGICを設立し代表を務める(現職)。
https://logic-magic.co.jp/
https://dehogallery.co.jp/
Supported by Enhanced Endorphin
INTERVIEWER : 野口光一(東映アニメーション)
EDIT : 日詰明嘉
PHOTO : 弘田充
LOCATION : LOGIC&MAGIC

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