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INTERVIEW インタビュー
日本にフルCG アニメは根付くのか?
識者に聞く、和製3DCG アニメーションの未来
日本におけるフル 3DCG アニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回ご登場いただくのは、アニメ評論家の藤津亮太氏。3DCGアニメーションを制作する上での作り込みの度合いや予算感といった“セオリー”を確立させることの必要性。そして、つくり続ける上では実績ある原作ものを手がけることが有効といった持論をもつ藤津氏にCGアニメーションへの思いを聞く。
【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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“セオリー”を確立させることが重要
東映アニメーション/野口光一(以下、野口):今回は、技術的なことよりは、作る上での姿勢とでも言いましょうか。現在日本のフルCGアニメに足りないもの、高めていくべきものが何なのかご意見をお聞きできればと思います。
藤津亮太(以下、藤津):よろしくお願いします。
野口:日本のフルCGアニメ監督で実績を重ねているのは、メカデザイナーご出身の荒牧伸志さん、CGクリエイターご出身の曽利文彦さんという現実があります。一方で、前回(第4回)で勝間田具治さんという生粋のアニメ演出家の方にお聞きしたところ、「アニメの演出は、アニメーターの素養がある人が演出した方がいい」と仰っていました。CGアニメは確かに前段となる相応の技術や知識が求められてしまう面があるとは思うのですが。
藤津:今のお話を聞いて思い出したのは、実写畑出身の方がアニメを監督する場合は大体、プリプロをやった後は具体的な演出はアニメ畑の人が担うケースが多い、ということです。そこでは実写出身の監督さんは主にコンセプトを担う。「この画面を具体的にどのように作るべきか」といったことは相応の専門知識が求められますから、アニメの専門家が担当しないとできあがらないわけです。
野口:確かに。
藤津:では、3DCGアニメの場合はどうか、単純に考えると作画と同様にCGに精通している人が演出を担うというのがスムーズかもしれません。ですが、CGの最大の特徴はプレビューが他の制作様式よりも比較的容易に行えるということですよね。その分だけ「無限リテイク地獄」に陥るリスクもあるわけですが(苦笑)、それは置いておくとするなら、アウトプットされた画に対して、その良し悪し(観た感想)をちゃんと具体的な言葉として指示できる、画に対してある種の見識をもっている人にとっては、技術的なノウハウはなくとも、とてもディレクションがやりやすい環境になるはずなんですよ。
野口:なるほど。
藤津:昔(作画の時代)は、撮影出しでタイムシートとセルなどを見て、頭の中で上がりをイメージできないと処理演出できなかったわけですが今は、ある程度ラフなものであれば、具体的な映像として確認(プレビュー)できる。だから、僕は今まで以上に様々なバックグラウンドをもった人たちが監督として演出をやりやすくなる方向に動きつつあるとみています。
野口:演出する上での敷居が低くなってきているということですね?
藤津:そうですね、そういう過渡期にあると。そこで、ネックになると思うのがと、フルCGアニメにおける具体的な成功例、つまり「ああいう表現を、これぐらいの予算で、ある程度枯れた技術をベースに、このように制作すれば、これぐらいの採算がとれる」的な目安がひとつもないことです。そうしたセオリーが構築できればCGアニメは一気に増えると思います。
野口:それはあるでしょうね。
藤津:今は、その目安を模索している段階なので、CGに精通している人の活躍が目立っているのではないでしょうか。セオリーが構築できれば、それこそ実写畑の監督がアニメを監督・演出するケースも出てくることでしょう。
野口:そうなったときに、純粋な意味での監督・演出家の演出力が問われてくるわけですね。
藤津:そうですね。押井(守)さんの言葉を借りれば、アニメーター(出身の演出家)は現場の面倒をみられるかもしれないけど、監督というものは、もっと別のことを考えるべきであると。つまり、監督としてこの作品をどうするべきか、といったことがより問われてくるようになるはずです。
野口:その時期というのはいつぐらいだと思いますか?
藤津:意外と近い将来ではないかと思っていますよ。『アシュラ』(2012)も技術的には十分こなれつつあるように感じました。今年はこうした作品が出始める年だと思うのですが、そうしたときに、先ほど述べたセオリーみたいなものがみえてくると思います。
野口:なるほど。
藤津:そして、突破口となるのが「原作付きのアニメ」ではないかと。原作であるコミック通りに3Dアニメ化することで、観客が定着していくと僕は思っています。ブレイクスルーのひとつの目安になるのではないかと。
野口:そうなると、日本のアニメはやはり漫画ありき。漫画の絵(コマ)をアニメーションさせたい、ということになります。やはりセルルックが3DCGの場合も主流になるのでしょうか?
藤津:なぜ僕がそのように思うかというと、アニメは大半が原作付きなんですよ。そこではマンガやライトノベルのイラストの絵を、アニメ用にうまく表現することが求められている。そのファン層を無視してビジネスは成立しないだろうなと。僕個人としては、もっとオリジナル作品も増えてほしいなとは思っていますが。
野口:ああ、なるほど。
藤津:アニメーション制作技術として使えるということが認知されたると、みんなが「この技法で原作ものをやればうまくいくのでは」と思う。そう感じる状況を生み出す必要があります。
野口:制作現場の人間としてひとつ気になるのが、ゲーム・ムービーのような3DCG本来の特性を活かした表現にもある程度力を入れていかないと海外展開は難しいのではないかと感じています。なぜなら、日本のアニメ市場規模自体はこれ以上広がらない、むしろ縮小するかもしれない。その一方では韓国や中国では、日本アニメにも関心を寄せていますが、アメリカ(欧米)のアニメ市場を中心に考え始めているようにも感じます。「国内市場だけで賄えるだけ良いではないか」という意見もありますけどね。
藤津:確かに大きなトレンドとして、少子化が大前提としてあるので日本のアニメ産業はこれ以上は拡大しない(シュリンクしていく傾向にある)というのがはっきりとみえていますからね。
野口:子どもが目にするアニメも海外作品が増えているのではないかと。嗜好も変わってくるのではないかと。
藤津:ただ、いつも機会あれば話しているのですが、北米の経済的なスケールや市場規模を考えると、俗にいうハリウッド的なものと真っ向から戦うのは分が悪いので日本のアニメはニッチ産業を目指すしかないと思うのですよね。そことガチでやりあうというのはなかなかしんどいのではないかと。可能性としてあるのは、日本のCGアニメ制作者がインドなどと組んで北米と渡り合うといったことは十分考えられると思いますが。インドの自国CG・アニメ産業は技術はあるけど、日本ほどは北米に対して開けていない(自国の映画が海外マーケットで認知されていない)と思うので。2D、3Dを問わず日本のアニメ制作者は技法や表現を研ぎ澄ませていくしかないと思います。「ザ・ニッポン」という感じで。
絵柄としてのCGの優位性
野口:昔、手塚治虫さんがTVアニメをシリーズ化しようとして予算や業界規模の制約からリミテッドを編み出しました。そして、「確かにまともにやったら予算も規模もうまくいかない」となっている現在、演出的に絵面をどのようにまとめあげるかが課題になっています。
藤津:要は、テクスチャがフォトリアルかそうでないかといったことですよね。向こう10年にわたって見通すというのは、かなり難しいことなので正直どうなるのか僕にもわかりません。ですが、どこかのタイミングで「CGは空気化する(CGであることを意識しなくなる)」はずです。要は、作画かCGか、フォトリアルか誇張表現(様式化)であるかではなく“画として強い方が勝つ(お客さんが入る)”ということになるわけです。そうなったときは、スタイルが独特な方が個性を発揮して商品価値があると思います。別の言い方をすればアニメは“とがった商品”なので、そのニーズに応じた市場をしっかりと押さえていけばいいのだと思います。だから、みんなが好むものではなく、10人のうち1人が好めばいい商品で勝負をすればいいわけです。
野口:それは「ジャパン(ANIME)」においてはということですよね?
藤津:そうですね。例えば、輪郭線を付けた表現。日本は輪郭線の内側をフラットに塗りつぶすことが多いと思いますが、同じアジアでも輪郭線を付けていたとしても日本ほどはフラット志向は強くないように感じます。だから『アシュラ』みたいなものはひとつの答えとして興味深いです。僕がCGアニメに対していいなと思うのは、描線やテクスチャの処理など作画以上に多彩なスタイルで描けるはずだということです。作画だとファンに好まれる絵柄の方向というのは歴史の結果かなり絞られているわけですが、CGになることでまた違ったアプローチがでてきて、それが一つの様式として落とし込めれば、ファンが好む絵柄ももっと多様になる可能性を秘めているはずなんです。この路線を進めていくと、例えば従来は日本人が苦手だとされているバタ臭いキャラクターデザインとかも可能になるかもしれません。
野口:なるほど。日本人は似せるのは得意ですからね。
藤津:そういうことですね。しかも、作画では大勢のアニメーターさんが決められたひとつの絵柄に似せるという形で制作しているわけですが、自ずと量産の限界というかコピーの限界がある。CGであればその労力はぐっと減らすことができます。
野口:真似るのは意外と簡単ですからね。もちろん相応の技術は必要ですが。
藤津:まさにそれは現場で今、模索されているところだと思います。僕は『アシュラ』をアニメ化できたのだから、もう少しリアル目な現代の少年漫画の一般的な絵柄であれば、より3DCGアニメと親和性が高いんじゃないかなと思っています。まあ、表情とかはさらなる追求が必要だと思いますが。ただ『アシュラ』よりもさらに頭身が上がってリアルなプロポーションになってきたら、ものを食べたりする日常的な演技は、もう少し正確に(実際の人間のように)描かなければいけないと思いますからね。
野口:アニメーションとしての情報量を上げていかないといけないわけですね。
藤津:そうです。そして、そこが課題なんだろうなと。
野口:かつての北米がそうだったように、手で描けるクリエイターがCG業界にきてくれるようになれば、さらに進化できるはずです。
藤津:そこが大きな分水嶺になると思います。CGの現場に、そうした作画で培われた豊かな表現ができる人たちがそのノウハウを活かして流入する数が増えてくれば確実に盛り上がっていくでしょう。“3DCGが増えているから”ではなく、何かの理由(モチベーション)があって、新たに開拓しようという思いで流入が起こることが大切ですね。そういう環境づくりがどうしたら生まれるのか。
野口:2006年が日本アニメの制作本数がピークで、減少傾向にあるとはいってもかなりの作品が毎年制作されています。加えて、最近では昔なら相応に企業体力のあるところでしか実現できなかった長編企画も、より小規模プロダクションでも行えるようになってきました。そうすると、余計にCGアニメがつくれる機会は増えるはずと期待しています。
原作ものに挑むが成功への近道
野口:ところでアニメの視聴形態ですが、やはり今もTVが主流。劇場版もTVシリーズから派生することが多いですよね。劇場発の作品をコンスタントに製作しているのはスタジオ・ジブリぐらいでしょうか。
藤津:TVベースとなる劇場版か、そうでなければオリジナル企画という、二者択一みたいな状況があるように感じます。個人的にはオリジナルも好きですが、勝負をかけるのであればその中間的存在として「原作もの」をやった方がいいと思うんですよ。もちろん「この原作はいい話だからアニメにしよう」という表現者としての思いを純粋に追い求めることは前提ですが、ビジネスとしても漫画や小説として確かな実績のあるメジャーな原作に取り組んでいった方が勝算あると思うのです。
野口:なるほど。
藤津:『サマーウォーズ』(2009)は完全オリジナルで劇場興収約16.5億円という素晴らしい成績を残しましたが、あのヒットはその前段として、細田組が『時をかける少女』(2006)をやっていたことが何気に大きかったと思うのです。誰もがタイトル名ぐらいは知っている有名作品をまずはアニメ化する。原作を知っている人は観るし、タイトルしか知らない人も興味を抱く可能性が高いわけです。もちろん、その出来映えが良いことが大前提ですけど、次のステップに進むときにはそうした実績がある監督のオリジナルということで説得力がかなりちがってきます。企画の戦略として大事だと思うのです。
野口:はいはい。
藤津:例えるなら『サマーウォーズ』が勝負球だったとして、セットアップとしての『時をかける少女』があった。もっと言えば、その間にもう1本別の原作ものをやってもよかったと思っています。ですが、日本の長編アニメ企画をふり返ってみると、オリジナル単発というのが多いんですよね。
野口:(苦笑)。
藤津:「今やりたいことをやる」という思いがベースにあること自体はまったく悪いことではありません。ですが、成功率を高めたい、ヒットさせたいのであれば、日本の業界慣習や市場規模に起因する制約とは別に、この監督で、このスタッフで、単発で終わらせるのではなく、2本目、3本目と継続してつくっていくんだという意識がもっと前面に出てもいいのではないかと感じるのです。2本目、3本目のために1本目はあえて“バットを短く持とう”といったことですね。もちろんそうはならない理由もあるとは思うのですが。
野口:ははは。
藤津:継続して制作するためには、1本目(1番打者)は確実に塁に出る、そのためには企画のルックをどうするかという考え方です。原作もの、特にスタンダードとして知られている定番作品は、そこにすごく寄与することができるのではないか、と。
野口:第1打席目は本当に大切ですね。
藤津:細田組が実際にどのような戦略の下に活動されているのかはわかりませんよ。ですが先日、『宇宙ショーへようこそ』(2010)について意見を交わす機会があり、とても好感をもてる作品なのになぜ興行的に恵まれなかったのか(※1)を議論したのですが、やはり舛成(孝二)さんがその前に『時かけ』的な鉄板の原作で1本つくっておけばよかったのではないかという結論に達しました。
※1 全国21館でロードショー。公式に興収は発表されていない。
野口:映画に関心をもってもらうための引きですよね。
藤津:ちょっと映画だけを特権的に語りすぎかもしれません。映画もテレビもやっていきたいとクリエイターの方が思われることは当たり前のことです。だけど、くり返しになりますが、監督と製作サイドに「自分は映画をつくっていくんだ」「この監督に劇場長編をつくらせたい、映画だけやっていってもらいたい」という意志とそこに向けた段取りがないと、オリジナル企画の映画でヒットを出すという高い高いハードルを越えることができないのではないかと。オリジナル企画の映画でヒットというと、スタジオジブリ作品、細田作品、それに庵野監督の『ヱヴァ』という状況からもう一歩踏み出すのには、そこしかないのではないかと思ってしまうのです。
野口:確かに劇場作品の場合はそういった意識が必要かもしれませんね。ですが、アニメはサブカルの面もあります。CGに話を戻すと、CGをポピュラーにする上ではTVシリーズのように毎週何らかのかたちで露出させていくという考え方も大事ではないかと思うのですがいかがでしょう? サブカルだから毎日接したい、年に1本といった頻度ではなかなか市民権を得られないのではないかと。
藤津:それは仰る通りですね。変な話、絵柄って見慣れるんですよ(笑)。言ってしまえば、最初の『鉄腕アトム』(1963〜66)の絵柄はかなり稚拙でした。ですが、見続けるとルールがわかってくる。わりと人間は脳内で足りないところをイメージして補うんですよ。そうして、様式が受け容れられていく。
野口:そして、そういった表現が段々と表現力が上がっていくのにつれて、観る側も見慣れて定着するみたいな。『プリキュア』EDのように。
藤津:その通りです。『プリキュア』EDは、今ではプリキュアの顔的な位置付けになっているじゃないですか。CGアニメーションがしっかり売りになっている。野口さんが仰る通り、毎週見続けることで「見慣れる(定着する)」というのはあると思います。もちろん、それが願わくばレベルの高いものであってほしいとも思いますが。いずれにせよ量によってポピュラリティを得る(高める)という面ではとても大切な要素ですよね。
野口:そこら辺は、作り手側というかプロデュースする側がしっかりと考える必要がありますね。
藤津:現在はCG版の『鉄腕アトム』的な表現を模索しているという状況だと思います。’63年の『鉄腕アトム』は洗練はされていなかったが、技術的・経済的制約を逆手にとった実験場でもありました。その自由さが、当時若かった作り手を刺激して、後のアニメ表現へとつながりました。そういった制限を踏まえた上で「CGでやったら面白そうだ」と思う人が増え、集まり、作品をつくっていくことができれば自然と定着するはずです。
3Dはまだジャンルが確立されていない
野口:以前、藤津さんがご自身の著書『チャンネルはいつもアニメ―ゼロ年代アニメ時評』(NTT出版)の中で、ノイタミナ『化け猫』(※2)と『ミニパト』(2002)、そして『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)という3作品を通じて、2D(セル画)はジャンルのひとつだと気づかされたと述べられていました。つまり、3Dもまた別のいちジャンルなわけですよね。だけど、そのジャンルを試す、開拓する作品があまりない。それが不幸なのかなと。『化猫』みたいな実験性の高い作品が生まれる機会はなかなかありません。やはり「2Dとして表現するのがベスト」なのでしょうか?
※2:ノイタミナ枠の第3作『怪 〜ayakashi〜』(2006)の第9話から11話にわたって放送された『化猫 序の幕/二の幕/大詰め』のこと。その独特の表現が注目をあつめ、翌年にはその続編となる『モノノ怪』が製作された
http://www.toei-anim.co.jp/tv/ayakashi/
http://www.toei-anim.co.jp/tv/mononoke/
藤津:3DCGは作品ごとに「理想のかたち」を模索している段階なのではないでしょうか。それゆえに「この作品のためだけに開発されたスタイル」が多いなあという印象にはどうしてもなってしまう。どの段階でチェックを入れるかといったワークフローもまちまちで、2Dにおける作監さんがどういうかたちで関わるかといったこともまちまち。それをジャンルとして、制作手法として定着させるためには、誰もがマネできるような平準化された制作スタイルを構築してしまった方が普及するのではないかと思うのですが……。
野口:ですが、平均というのはなかなか難しい気もしますね。CGは表現の幅が広いので「この予算内でお願いします」といった感じで、大枠を決めた上で考える必要があるかなと。もしかしたら、サンジゲンさんなんかはすでにそうした部分も考えはじめているのかもしれません。『009 RE:CYBORG』(2012)などが今後の基準になるとか。
話は変わりますが、海外のCGではフォトリアルとピクサーみたいな表現(カートゥーンの延長)の二極化を感じませんか?
藤津:ピクサーの場合は、形(デザイン)はデフォルメで質感はフォトリアルというバランスですよね。
野口:『メリダとおそろしの森』(2012)を観たときに近年はフォトリアルの比重を高めているように感じました。逆にドリームワークスは『マダガスカル3』(2012)を観た印象としてはデフォルメの割合が高まっているように感じたのですが、元々のルックがピクサーよりもリアル路線ですね。
藤津:ドリームワークスは良い意味で「細かいことは気にしない」というか。キャラクターはわりとゴム人形みたいでもいいんだよ、みたいなほどほどに見栄えが良くなる歩留まりを見込んで、これ以上技術的に突っ込んでも売上は変わらないからという見極めが上手いように感じます。とは言え、最近はクオリティも上がってきていますね。とにかく企画で勝負みたいなスタンスを感じます。
野口:ファミリー映画の路線ですが、作品によっては下ネタもありますしね。
藤津:そうですね。試行錯誤を繰り返していく中で、実写のような世界観の下でキャラクターだけデフォルメされた動物などに置き換えるというスタイルを確立させたというか。その上で『カンフー・パンダ』(2008)などは、従来のパロディ調とは一線を画した王道のストーリーで勝負していたと思います。
野口:プロデューサーの個性というのもあるとは思いますけどね。ただ、海外をみていると「スタジオ力」といったものを感じます。日本でも作画スタジオに強い個性をもったスタジオはありますよね。目指す表現や趣味嗜好が同じアニメーター、プロデューサーをはじめとするスタッフが集まることによって、監督の作家性にひけをとらないスタジオの個性が生まれるのではないかと思っているのですが、そう考えると、良い作品をつくるためには監督とスタジオ(スタッフ)のどちらも必要なわけですよね。
藤津:CGも突き詰めていくと、枯れた技術に近づけば近づくほど、既存の2Dアニメと同じところが問題になるはずなんですよ。なぜなら本質的には作画と同じくアニメーターが必要ですし、全部の要素をつくらなければいけないからです。
野口:確かに。根本という意味では絵(画)を動かしたいわけですからね。
藤津:そうです。このフレームの中に画をつくるとなる、そのためのクリエイター、役者としてアニメーターが必要である。これは、2Dも3Dも変わらない。そう考えると、CGアニメというのはまだゆりかごの中にいる時期で、ようやく歩き出そうとしているということではないのでしょうか?
野口:そうかもしれません。
藤津:そんな状況とは別に、3DCG制作をややこしくしているのは出自の異なるプロダクションが協業しなければならないということがあるように感じています。トゥーン調、その中でも作画ライクなもの、はたまた実写系やリアルな等身のフル3Dなど。三者三様に考えや目指す表現が変わってくるはずですから。
野口:まったくです。
藤津:それが世間では全てひとまとめに「CGアニメ」とくくられてしまいがち。そこに独特の難しさがあるのではないかなと。
野口:すごく実感しています(苦笑)。
藤津:さらに細かく分けると小学館ミュージック&デジタル エンタテイメント(SMDE)さんを中心に取り組まれている子供向けアニメという分野もあると思いますしね。それが全て3DCGなわけですが、セルの場合はディズニーを始点として、ある程度共通の土台の中で手法や表現を培ってきたと思います。
野口:今のお話を聞いて改めて感じたのですが、セルアニメの場合はディズニーの表現や手法が原点にあるとしても、そもそもの情報が少ない(マニュアルもない)や、そもそもの予算のちがいから、二コマ打ち、三コマ打ちのように、独自の技を考え出してきたわけですよね。それも手塚治虫さんをはじめとする先駆者が集まってひとつの表現を目指していました。
藤津:そうですね。
野口:一方のCGでは、われわれがそこまで独立できているかというと、どうしてもハリウッドの技法に追従してしまうところはあるように感じます。今では、インターネットでわりとリアルタイムに情報もある程度までは入手できるので。そうした事情もあいまってCGの場合は最初から業界が分かれていたというのはあるかもしれません。
藤津:特にゲームなんかは、ゲーム的な映像表現を求めるファンが確立されていますよね。そのばらけている状況の中でどうやっていくのかを考える必要があるわけですが、不思議とゲーム的なルックでTVシリーズをやろうという企画は出てきません。
野口:ゲームのリアルタイム表現は上がってきているのであれを使えると良いなと現場の人間としては思うこともあるんですけどね(※4)。
※4:TV発のアニメーション企画ではないが、『大怪獣ラッシュ ウルトラフロンティア』のCGショートムービー制作には、リアルタイムレンダラ「Octane Render」が用いられている。本作は2013年12月17日(火)からBSジャパン『新ウルトラマン列伝』内で5週連続で放送予定
http://www.daikaijyu.com/rush/news/
藤津:ゲームはゲームの作法があるじゃないですか。故にゲームをやるときはその習慣に基づいて映像をみるという脳内補完をしているわけですよね。アクションとアクションが切り替わる時にピクッと数ピクセルジャンプしてしまうことをよしとするみたいな。それが映画になると話はちがってくるのでしょうね。
野口:アメリカでもやっていませんからね。
日本のCGアニメーション再考
野口:宮崎 駿さんが『ハウルの動く城』(2004)、大友克洋さんが『STEAMBOY』(2004)、押井 守さんが『イノセンス』(2004)という3DCGを積極的に用いた大作をつくられ、さらに同じ年に『APPLESEED』が公開されるといった具合に、CG的には大きな盛り上がりがありました。それがさらに加速するのかと思ったけど、停滞。その後、10年近くを経て2011年頃から今一度CGアニメへの注目が高まっているように感じるのですが、藤津さんはどのようにお考えですか?
藤津:2004年に氷川(竜介)さんと僕がCGへの期待を高めたのは、やはり『APPLESEED』があったからですね。モーションキャプチャをベースに、2Dライクな絵で仕上げるという手法ですね。あの作品が上手くいったら、アニメライクなものをより効率的に映像的な密度も上げて制作できるようになると思ったわけです。だけど、CG現場の方によくよく話を聞いてみると実は手付けの芝居で作った方が安く作れるという指摘もあったりして。もちろん、スケーラブルな優位性はあるわけなので、『APPLESEED』のような手法が洗練されてコストが下がったら、手描きよりもこっちの方が良いと思う人が出てくるだろうと。要は量産効果のようなものに期待したいのです。
野口:そして、作品が増えて「アニメCG」(作画の系譜をもつ3DCGアニメーション)に見慣れてしまったと。
藤津:どこかが後追いすると思ったのですが、単発で終わってしまった。もしかすると先ほどお話したような、CG版『鉄腕アトム』(手描きアニメの先駆け)になることを期待したのですけどね。爆発の時の破片(の形状)が同じでもいいじゃないか、まずはここから始まるんじゃないかと。でも、恐らくは、後追いしない、できない理由があったのでしょうね。今なおトゥーンによるリアル等身のフルCGアニメに挑んだフイルムメーカーは荒牧伸志さんと曽利文彦さんのお二人しかいらっしゃらないわけなので。
野口:その後に続き、道を拓くのが『009 RE:CYBORG』なのか、はたまた『アシュラ』的なものなのか? これからまた面白くなりそうですね。
藤津:まさにそうした思いは、『ドットハック セカイの向こうに』(2012)や『friends もののけ島のナキ』(2011)を見た時も同様に感じました。今年は日本におけるCGアニメのカンブリア紀とでも言えるのではないかなと。色んなルックの作品が同時多発的に公開されて、言葉が悪いですが、滅びるやつもいるし、生き延びるやつもいるだろう。そして、その次にくるのは生き残ったものが様式としてビジネスとして確立されることです。それが何なのかは誰にもわかりません。
CGWORLD/沼倉:ところで、初音ミクが若い人たちを中心に幅広く受け容れられてますよね。ああいったムーブメントも生粋のアニメファンとは別の層が、ある種の新興勢力が台頭してきているということなのでしょうか?
藤津:うーん。アニメも観るけど、ボーカロイドも好きという人は確かにいると思います。元々、アニメや漫画は特定の記号さえ押さえておけば作画崩れしても成立する、許容されるというのはありますよね。見る側が「顔かたちがちがっても声優が一緒だったり、髪型などの記号性が同じならこれは同じキャラだ」と認識してくれるという。そういうのは、初音ミクの個性際立つ記号性(ツインテール、緑がキーカラー等)さえ押さえておけば、アニメのキャラクター消費文化の中に収まっている気がするので、既存のアニメファンにも受け容れられる可能性は高いですよね。ただ、生理的な好みというか、世代的な慣れみたいなものも確かにあって、3Dのフルコマの動きが好き嫌いというのは別にあるでしょうね。僕の感覚では今30代の人たちのどこかで、分かれそうな気がします。フルモーションに抵抗ある人は相当アニメにこだわりがある、手描きのリミテッドによいイメージを強く持っているややマニア寄りの人たちな気はします。これは年代、世代とは別の話ですけどね。
野口:ふと思ったのですけど、『戦場でワルツを』(2008)のようなある種のドキュメンタリーをアニメで描くというのもありそうでないですよね。
藤津:あの作品が独特なのは、自分の主観であることを隠さずに語っているからアニメでも成立しているのだと思います。CGも用いていると思うのですが、手描きタッチが残っているから主観である、ルックが様式化していてもドキュメンタリーとして成立するのだと思います。あれがフォトリアルな3Dアニメだったらドキュメンタリーではなく、再現映像に近い印象になってしまうかなと。作画アニメは放っておいても作画アニメはそっちに近い印象を抱かせますが、3Dはどっちかというと、意外とドキュメンタリーになりにくいのかなと思います。絵であるがゆえのドキュメント性があるなと。
野口:確かに、CGは元を辿ればシミュレーションですからね。
藤津:CGアニメでドキュメンタリを描くのであれば、もう2,3手間を加えて個性を確立させる(様式化させる)必要があるでしょうね。
劇場長編アニメーション成功の鍵とは
野口:色々とお話を聞いてきましたが、製作事情などを考えると日本のアニメはニッチにいった方が生き残っていけるのかなと思ってしまいました。
藤津:僕はそう思います。パワーファイトだと勝ちにくいと思うんですよね。短編とかならまだあるのかもですけど。
野口:ハリウッドのVFX大作を観ていると、そもそも同じ土俵で戦うのは無理だと(苦笑)。であれば、得意とする輪郭線がクリアな作画というのは市場として小さいかもしれないけどいいのではないかなと。
藤津:そうですね。輪郭線とまではいかないまでも明確な絵柄をもった3Dは普遍的なモデルをまず作るという考え方ですけど、そうではなく、ある種、絵として捉えて一枚一枚が独立した絵であるという考え方、言ってしまえばセンスで勝負する世界。
野口:そうなると。勝負できる絵柄に達しているかが重要になりますね。2Dの作画はまだいいですけど、そこを超えたコンピュータ技術に話がおよんでしまうと、「じゃあ、みんなでアメリカに行こうよ」の方が現実的だなあと(苦笑)。
藤津:また別の考え方としては、日本のアニメをCG先進国で作るということです。日本人が好むものを向こうでつくらせてそれをディレクションする。日本のロジックと向こうのロジックを併せもった作品をつくるという。日本の産業として経済としてどうかは別として日本アニメのセンス、遺伝子は残せるわけなので。
野口:実績あるヒットメーカーが海外で撮るというのは、実写ではよくある考え方ですね。ジョン・ウーがハリウッドで撮るみたいな。だけど、アニメの場合はみんな日本が好きだから、宮崎さんみたいに日本に拠点を構えてつくるという考えが昔からありますよね。
藤津:2Dアニメについては、実は日本に限らずアジア諸国はみんな好きなのでハリウッドへ行く必要もなくアジアでつくるという考え方もありますよね。中国は政治や独特の商慣習のちがいで難しいかもしれないですけど、韓国や台湾をはじめ有効な潜在パートナーは多いと思います。その他にもタイとかベトナムなど、わかりやすい言い方をすると『ドラえもん』がヒットしている国ならいけそうな気がしますね。みんなで2D系で食っていこうぜみたいな(笑)。5年ぐらい前からずっと思っているのですけどね。漫画が美意識の地ならしをしてくれている。
野口:漫画とアニメの深い関係性ですね。
藤津:日本アニメがここまで発展できた背景として、玩具と雑誌(食品もありますが、他の2つほど大きくはないので)と手を組んだことです。これら2つと手を組まなかった作品は純粋な感じはしますが、はっきり言ってビジネスとしては成り立ちにくかったと思います。つまり、まさにオリジナルの、劇場発のアニメ長編の難しさはまさにそれに当てはまるわけですが。
野口:一発で終わってしまうと。確かになあ。その意味ではTVシリーズの劇場版についてはどのようにお考えですか?
藤津:劇場版『名探偵コナン』シリーズなどは毎回サービスしようとして健闘していると思います。言葉は悪いですが、イマイチな回でも、それなりの理由があるというか、ここをサービスがしたいがために全体が歪んだのだなと伝わってきます。あと、TVシリーズの人気作をよりスケールを増して、よりゴージャスに再演という方式も考えられます。『ベルセルク 黄金時代篇』3部作(2012〜13)などがそうですよね。
沼倉:『ベルセルク 黄金時代篇』三部作のようなハイブリッドについてはどう思われますか? CG畑の地位向上にはつながりにくい面もある気がするのですが。
藤津:『ベルセルク』という題材だからハイブリッドが効果的だったと思いますね。鎧や馬が登場するモブシーンは、手描きではハードルが高すぎるので。
沼倉:ほかにもCGメカと作画キャラのハイブリッドもありますよね。
藤津:そうですね。メカについては手描きの方が限られてきている(CG前提になりつつある)ので、互いの長所を組合わせて、短所を補えるのであれば演出家としては手を出したいと思う。ハイブリッドはCGの地位向上にはつながりにくいかもしれないけど、監督が気に入れば次はフル3DCGでという流れは確実にあるのではないでしょうか。監督としては、手法ではなく、自分が望むビジュアルを明確に描けていることが大事なはずです。それに最も応えることができるのが3Dであれば、自ずと3Dの需要は増えると思います(※5)。
※5:『革命機ヴァルヴレイヴ』(2012)では、手描きによる往年のサンライズメカアニメ特有の表現を3DCGによって描こうという試みが行われている
http://www.valvrave.com/
野口:今日はありがとうございました。
- 藤津 亮太:Ryota Fujitsu
- 1968年静岡県生まれ。アニメ評論家。単著に『「アニメ評論家」宣言』(扶桑社)、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』(NTT出版)。連載に「四代目アニメの門」(bonet http://bonet.info/)、「恋するアニメ」(アニメ!アニメ! http://animeanime.jp/)など。ブロマガ「アニメの門チャンネル」(http://ch.nicovideo.jp/animenomon)で毎月第一金曜日に番組配信中。
http://blog.livedoor.jp/personap21/
INTERVIEWER : | 野口光一(東映アニメーション) |
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EDIT : | 沼倉有人(CGWORLD)http://cgworld.jp |
PHOTO : | 弘田 充 |
LOCATION : | Bridge http://brdg.jp |