日本におけるフル3DCG アニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回登場するのは、アニメーション研究者の津堅信之氏だ。京都精華大学 マンガ学部 アニメーション学科に所属し、准教授として教鞭をとる同氏は、10 年以上の長期にわたりアニメーション史を研究してきた。現在の日本のCG アニメは、アニメーション研究者である同氏の目にどう映っているのだろうか? 今回はこれまでと趣向を変えて、アカデミックな視点から日本のCG アニメの現状と未来を紐解いていく。
聞き手:野口光一(東映アニメーション)Supported by EnhancedEndorphin
CG アニメの理論的な研究は、まだまだ手付かず
東映アニメーション/野口光一(以下、野口):ここ数回は、日本で実際に3DCG アニメを作ってきた方々にお話を伺ってきました。それを踏まえて自分なりに見えてきたのが、第1 に「お客さんにとって面白い作品を作らなければいけない」、第2 に「CGアニメーターが足りない」という課題です。
津堅信之(以下、津堅):「CG アニメーターが足りない」というのは、どういう意味ですか? CG を使いこなせるテクニックが足りないということでしょうか?
野口:僕が思うに、CG 業界に入ってくるのは、プログラムやデザイン志向の人が多数派なのですよ。かつては仕事自体も、例えば車やメカをモデリングして、綺麗にレンダリングして、ちょっと動かすといったニーズが大半でした。アニメーションの需要は少なかった。ところが、ここ最近はキャラクターアニメーションの仕事が急増しており、対応できるCG アニメーターの供給が追いついていません。デザインやモデリングが上手い人は沢山いるのですが、アニメーターに関しては層が薄い。ハリウッドの場合、作画のアニメーターをCG 業界に取り込むことで解決を図ってきましたが、日本では上手く人材が流入していないのが現状です。
津堅:僕が教えている京都清華大学でも、まったく同じ現象が見られますね。3DCGの授業は選択制で受講する学生は少数ですが、毎年モデリングの上手い子はいるのです。ただ、ABC 評価で、モデリングに関してはA 評価でも、アニメーションは良くないねってパターンが非常に多いですね。
野口:モデリングで力尽きてしまうのでしょうかね(笑)。最初にアニメーションの授業をした方が、動かす面白さを伝えられるのではないですか?
津堅:タイミングやアニメーションを学ぶ作画の授業も、1 年時の必修として受けてはいるのですよ。ただ、そこで作画やアニメーションが不得意だった学生が、2 ~ 3年時に3DCG を選択するというパターンが多いのです。だから卒業制作で3DCG 作品を作る学生には、モデリングやプログラムは得意だけど、アニメーションは苦手という子が多いですね。
野口:なるほど、そんな背景があるのですね。津堅さんは教育者、そして研究者という立場でアニメーションに関わっておられるので、いつもとは違ったお話が聞けるだろうと期待しています。基本的な質問になってしまいますが、そもそも津堅さんが携わっておられるアニメーション学とは、どういった学問なのか、この連載の読者に向けて説明していただけますか?
津堅:どんな学問にも共通することですが、まず対象になる領域を決めることから始まります。つまりは「アニメーションの定義」が問われることになりますが、ここで多くの人がつまずくのです。最近だと、まさにCG アニメが問題になることが多い。 かつてはコマ単位で撮影し、つなげて再生したものがアニメーションだと定義されていましたが、これに該当しない作品が増えてきているわけです。
野口:例えばモーションキャプチャーを使った場合、アニメーション作品とみなして良いのかどうか、グレーゾーンとされていますよね。アメリカのアカデミー賞のアニメーション部門でも、モーションキャプチャーをアニメーション技術と認めるのかどうかで意見が割れています。
津堅:コマ単位、正確に言うとフレーム単位でしょうかね。フレームで管理しているからアニメーションの一種だと言えると思います。ただし、心理的に抵抗がある人もいるでしょう。それでも、学問領域に身を置いている人間としては、論理的に固めていく必要があると思っています。アニメーションと、それ以外のものの間に境界線を引くことを疑問視する人もいます。見方によってはアニメーションの範疇に入るはずの作品が除外されることで、語られなくなってしまうかもしれない。あえてグレーゾーンを残すべきだという意見です。その気持ちもよくわかるのですが、僕自信は、境界線を1 度は引くべきだと思っています。1 度引いてみた後で、じゃあその境界線の周辺領域には何があるのかを見渡せば良いのです。あるいは、僕が引いた境界線と、他の研究者が引いた境界線を比較するという手段もあります。おそらくCG の場合は、そこさえも、まだ行われていないような気がします。
野口:CG アニメというジャンルも、最終的には、それなりの研究をするべきなのでしょうか?
津堅:野口さんがおっしゃるCG アニメというのは、フル3DCG アニメのことでしょうか。例えば昨今のデジタル化されたセルルックのアニメーションではなく?
野口:そうです。僕自身は、キャラクターが3DCG の作品であればCG アニメと呼んでいます。
津堅:そういう意味でのCG アニメに関する理論的な研究は、まだまだ手付かずだと思いますね。先ほどお話したアニメーター以上に、層が薄い印象があります。例えば僕が所属している日本アニメーション学会の場合、既に15 年ほどの歴史がありますが、「定義を決める」という意味で、精力的にCG アニメに関する理論を構築している研究者はいないと思います。僕のように歴史を研究している方、伝統的なアニメーションの理論を研究している方、作品や作家に関する研究をしている方、もともとは社会学や心理学、文学、音楽などの専門家だけどアニメーションを研究領域に取り入れている方などで構成されています。
野口:アニメーション学を精力的に研究している大学は、京都精華大学以外だと、どこがありますか?
津堅:歴史や理論といった純粋学問的な切り口からアニメーションを研究している度合いが強いのは東京造形大学ですね。ここに所属なさっている小出正志先生は、アニメーション理論を長年に渡って研究なさってきました。ただし、東京造形大学にしろ、京都精華大学にしろ、基本的にはアニメーションの作り手を養成するためのコースなのです。4 年間通して理論的な研究をして学位を取るというわけではありません。
野口:つまり現状では、アニメーション学を学べる環境は限られているというわけですね。
日本人には2D の成果物を求める傾向があるかもしれない
野口:このインタビューに先立って津堅さんの著作を拝読しまして、非常に気になる記載を見つけたのですよ。ちょうどJCGL が解散した1987 年に、手塚治虫さんが今の未来を的確に予測していたことに驚きました。
以下『日本アニメーションの力 85年の歴史を貫く2つの軸』(NTT出版/2004)より抜粋
つまり、どんな凝った映像であっても、それは「アニメーション」もしくは「アニメ」として受け入れ難いものがあり、アニメーション表現のための技術ではなく、技術のための技術とでも言えるような状況にあったからである。それは、単に平板なセルアニメの絵に見慣れていたからというのではなく、手作り品の手触りのよさとでもいうところに、アニメの価値観を求めていたのではないだろうか。1987 年に開催された第2 回広島国際アニメーション映画祭の審査員を務めていた手塚治虫が、会期中にNHK のインタビューで次のような発言を残している。「CG は確かに21 世紀の映像言語と言われているんですが、限界がありまして、凝れば凝るほど冷たくなるんです。で、これから15 年くらいしたら、おそらくCG の非常に緻密な映像と、手描きのアットホームな映像とがうまくミックスされた作品が出てくると思います。そういうものに期待したいですね」(※ 1)
(※1)1987年9月4日、NHK教育放送の「文化ジャーナル」における手塚治虫の発言を再構成した。
津堅:随分と昔に書いた本ですね。TV 番組として放映された手塚さんの発言を録画して書き取ったものですから、ほぼ正確だと思いますよ。この指摘は確かに鋭いですよね。当時は、アニメーションに関わる人たちにとって、エポックとなる時期だったと思います。コンピューターがわりと身近になってきた中で、ピクサーが初作品として『ルクソーJr.』を発表したのが1986 年なのです。この作品を見た人たちは、ほぼみんな仰天したと思います。僕も仰天しましたし、手塚さんも例外ではなかったでしょう。結局のところCG というのは機械の産物で、まさに「凝れば凝るほど冷たくなる」という手塚さんの発言の通りだと信じていたわけですが、ルクソーJr. は暖かみのあるキャラクターになっていました。
野口:堅い電気スタンドという設定で、形が変形しないのにも関わらず、ちゃんと感情が伝わる動きになっていたのには驚きましたね。
津堅:作品を発表した際に、監督のジョン・ラセターは「大きい方のスタンドは、お父さんなの? それとも、お母さんなの?」という質問を、ラセター本人が「CGの師匠」と言っていた技術者から受けたそうですよ。その質問をされたことで「確信をもった」と、ラセターは語っていましたね。CG の技術者ですら、大きい電気スタンドは親で、小さい電気スタンドは子供だと、作品を見ただけで認識したのです。
野口:質問に対して、ラセターは、どっちと答えたのでしょうね?
津堅:そう言えば、教えてくれなかったですね(笑)。3DCG で作ったにも関わらず、観客にキャラクターであると認知させられたことで、それまでの3DCG の位置付けが劇的に変化した時代だったと僕は思っています。当時の3DCG は、人間の顔のような不定形な物体にアニメーションをつけるという点においては非常に稚拙でした。だからこそ、逆転の発想で、電気スタンドという工業製品にアニメーションを付けることにした。そして、動きのタイミングを工夫すれば、生きたキャラクターを充分に表現できることを証明したわけです。
野口:3DCG であっても感情移入できるキャラクターが作れると確信して、ディズニーは『トイ・ストーリー』(1995)に投資をし、ドリームワークスも追従したわけですよね。ハリウッドで起こったエポックが、何故、日本では起こらないのかという疑問が、この連載のテーマなのですよ(笑)。アメリカの場合、だんだんと「描く」ことが難しくなったという背景もあるようですね。それ以外の国でも、「CG で良いじゃない」という流れが主流になっています。ところが日本では、「描くことで命が宿る」という価値観が根強い。このままではガラパゴスになるのではないかという懸念がある一方で、確かに日本の作画アニメの表現は素晴らしいという事実もあります。
津堅:京都精華大学でも、年々CG の授業を選択する学生が減ってきています。もともとCG 教育は専門学校の役割であって、我々のような4 年生大学のカリキュラムの中でCG アニメーターに必要な技術を身に付けることは難しいだろうと思います。先ほども申し上げたように、作画の授業もあれば、シナリオの授業もあります。CG だけに特化して勉強するわけではありませんからね。それでも2 ~ 3 年前までは、1 学年の定員約60 人に対して、30~40人程度がCGを選択していましたが、昨年は10人台まで減少したのです。今年は逆に増えているようですが、モデリングの実習になると受講者1ケタ台ということもけっこうあります。
野口:2D アニメに魅力を感じる学生の方が多くなっているのでしょうかね。フラットな絵が好まれる、日本の今の方向性を象徴しているように思います。
津堅:京都精華大学の状況だけで全体的な傾向を問うのは無理があると思いますが、学生に教えていると、そういう実感をもつことは確かにありますね。大学院に社会学的な視点からコスプレの研究をしている学生がいまして、その子によると、コスプレの楽しみ方が日本と欧米とでは根本的にちがうのだそうです。日本のコスプレが欧米にも輸出されていることを指して、「日本の文化が受け入れられた」という見方をする人もいますが、実体は少し違います。日本のコスプレイヤーにとっては撮影された写真が成果物ですが、欧米のコスプレイヤーにとってはパフォーマンス自体が成果物なのです。同じコスプレをしても、楽しみ方はまったくちがうわけです。
野口:欧米のコスプレイヤーの場合、コスチュームを着て、キャラクターになりきって存在すること自体が目的なのですね。
津堅:そうです。日本のコスプレイヤーはイベント会場の更衣室で着替えますよね。でもヨーロッパの場合、家から着て出かけるのです。家にいる時点で、既にパフォーマンスは始まっているのです。つまり日本の場合、写真に撮影されることで2 次元になった自身を成果物とみなす傾向があると言えます。一方でパフォーマンス自体を重視する欧米は、コスプレの楽しみ方も3 次元的だと言えるでしょう。
野口:コスプレイヤーの撮影をしている人から、「次のイベントで会ったときに、本人に写真を渡すのが楽しい」と聞いたことがあります。「楽しい」ということは、「渡すと喜んでもらえる」という背景があるわけですよね。
津堅:この話と日本ではフラットな絵が好まれるという傾向に関連があるのかどうか即断はできませんが、初めて院生からコスプレの話を聞いたとき、僕はハッとしましたね。日本人には、写真という2D の成果物を求める傾向があるのかもしれません。
野口:その考え方をもとにすれば、日本では、アメリカほどには立体視がブームになっていない現状も説明できますね。ただ、最近の若い人たちはゲームやピクサーの作品、『プリキュア』シリーズなど、3DCG で作られたコンテンツに囲まれて育っていますから、徐々にニーズは変化してくるかもしれません。それとは別に、2D は人間が1枚1 枚手で描いているから有り難みがあるけど、3D は自動的に生成されているように見えるから有り難みがないという受け止め方もあるように思います。
津堅:それだけで全部を説明できるわけではありませんが、確かに一理あるとは思いますね。
海外でのヒットを最優先にしたCG アニメを作る
野口:ここ最近は若い世代が起ち上げたCG プロダクションの台頭が目覚ましく、それ自体は喜ばしいのですが、ビジネスとして成立しきれていない場合が多いのはもどかしいですね。
津堅:例えばピクサーにしろディズニーにしろ、アメリカで作られたフル3DCG アニメが日本で公開された場合には、一定のヒットをしますよね。とはいえ、彼らの技術力や表現力が日本のアニメーター以上に評価されているのかというと、そういうわけでもない。ピクサー、あるいはディズニーというブランド力によって、観客を集めている部分も大きいと思うのです。スタジオジブリも同様ですよね。「他のアニメは一切見ないけど、ジブリの作品だけは無条件で見に行く」という人が、老若男女を問わず沢山いるわけです。そのくらい、ブランディングの威力というのは大きい。それでは日本で3DCG アニメを作る場合に、海外でヒットすることを最優先とするなら、どんな作り方があり得ると思いますか?
野口:3DCG でなくても、日本発のアニメで世界をターゲットにしたブランディングというのは難しいですよね。スタジオジブリは海外でも一定の評価を得ていますが、国内マーケット向けに制作したものが、海外でも評価されたという流れですからね。
津堅:そうです。昔の東映アニメーションさんの作品の中にも、例えば『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978 〜 1979)や『聖闘士星矢』(1986 〜 1989)のように海外でヒットした作品はありますが、日本ブランドのアニメを海外で売るという戦略があったわけではなく、いくつかの偶然とも言える条件が重なった結果、ヒットしたのだと思うのです。90 年代半ば以降になると、日本アニメがANIME というブランドでくくられて一定の評価を得るようになりましたが、アニメーション制作や研究に携わっている人であればあるほど、なぜ海外で人気がでたのか、意味がわからなかったのです。少なくとも、その時点では海外向けのマーケティングを意識して作った作品は1 本もなかったはずですから。
野口:そうだろうと思います。気が付いたら人気が出ていたわけですよね。
津堅:70 年代の地中海沿岸、フランスやイタリア、スペインで日本アニメが放映された当初は、日本の作品だと認識されていなかったはずです。日本のプリントの原盤をそのまま提供して、シーンや声優のセリフ、サウンドトラックなどが著作物としての原型を留めないレベルまで改編されたとしても、文句を言うことがないような時代でしたしね。つまり、日本アニメというブランドをまったく意識しない状態で海外に渡したはずなのに、結果的に、いつの頃からかブランドになっていたわけです。ヨーロッパ地域のファンに聞いてみると、日本アニメはストーリーやキャラクターが非常に多様で、それが珍しくて面白いと言いますね。北米もそうですが、向こうのアニメは就学前から小学校くらいまでを対象にした作品が大半ですから。
野口:最近の日本アニメは、20 代以上までをターゲットにした作品も多いですから、さらに広がっていく可能性はありますよね。とはいえ、実際にはそれほど儲かっている実感がありません(苦笑)。昨今よく言われているクールジャパンにしても、本当に実体があるのかどうか怪しい。
津堅:収益に重点を置いて考えた場合、それほど海外で儲かるような仕組みにはなっていないと思います。実際のところは、どの国でも極めてカルトな趣味でしかないのです。それが日本でオーバーに報道されているだけに過ぎないということは認識しておいた方が良いでしょうね。この前提のもとで、さっきの話に戻るとですね、ディズニーやピクサーがターゲットにしている世界各国の客層に対して、普通にヒットするようなスタイルの作品を、なおかつフル3DCG で日本のスタジオが作るとしたら、どんな作り方ができるでしょうね?
野口:それを考えるべきではないかと?
津堅:そうです。日本国内でヒットしなくても良い。ハリウッド的な発想で作るんだというスタジオがあったとして、どんな内容、キャラクター、ストーリーの作品ができるのか、僕自身は想像がつかないのですよ(苦笑)。これまでの日本のアニメは、どれも日本で売ることを基軸にしてきたと思います。世界各国に配信、配給する場合でも、日本向けに作った作品をオリジナルのまま出していますよね。アメリカでヒットさせる、ヨーロッパ各国でヒットさせるといった前提でマーケティングした上で、キャラクターやストーリーを作ることは実践しきれていないと思うのです。
野口:海外ではCG アニメが根付いているわけですから、そのマーケットに向けて作るという戦略もあるだろうという提示ですね。
津堅:そうです。これまでにも同様のことを考えた方は沢山いると思いますが、まだまだ挑戦の余地があるだろうと思っています。さらにもう1 つ、団塊の世代に向けたアニメーションというのも、現時点では未開拓だと思います。
野口:年齢で言うと、60 歳くらいでしょうか。
津堅:ええ。ゲームの場合は、脳トレ系やゴルフなどで、この世代をある程度捕まえたと思います。でもアニメに関しては、この世代のための作品がないのです。団塊の世代というのは、例えば1947 年生まれだとすると、『鉄腕アトム』(1963 〜 1966)の放映時には高校生になっていますから、アニメに親しむことなく大人になっているのです。せいぜいが家庭をもった際に子供と一緒に見た程度で、アニメから隔絶された世代と言えるかもしれません。
野口:邦画で言えば、山田洋次監督作品のようなイメージでしょうか。確かに可能性があるかもしれません。『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009)も、それに近いでしょうか。
津堅:加えて『カーズ』(2006)や『レミーのおいしいレストラン』(2007)もそうですが、昔の古き良きアメリカを懐かしむような作品をピクサーが立て続けに作った時期がありましたね。それ以前の純粋なエンターテインメント路線とは一線を画していました。ああいう作り方は日本では少ないですよね。
野口:日本だとチャンバラ映画でしょうか?
津堅:そうかもしれません。
野口:そういうシニア層のためのアニメと、ダイレクトに海外をターゲットにしたアニメ、この2 つの方向に可能性があると考えるわけですね?
津堅:どちらも、これまで積極的に取り上げられてこなかった対象なので、それが作られたときのブームの形や広がりに、とても興味がありますね。
野口:確かに、僕も興味があります。今回は今までにないお話ができて、非常に刺激になりました。有難うございました。
津堅信之:
Nobuyuki Tsugata
1968 年生まれ。兵庫県出身。近畿大学農学部卒。約10 年間のサラリーマン生活を経験した後、アニメーション研究者に転向。大阪芸術大学講師、学習院大学大学院講師等を経て、2009年より京都精華大学マンガ学部アニメーション学科准教授。専門領域は日本アニメーション史。著作として、『テレビアニメ夜明け前―知られざる関西圏アニメーション興亡史』(2012)、『日本初のアニメーション作家北山清太郎』(2007)、『アニメ作家としての手塚治虫』(2007)、『アニメーション学入門』(2005)、『日本アニメーションの力 85 年の歴史を貫く2 つの軸』(2004)がある。
Supported by Enhanced Endorphin | |
INTERVIEWER: | 野口光一(東映アニメーション) |
---|---|
EDIT: | 尾形美幸(EduCat)、沼倉有人(CGWORLD) |
PHOTO: | 弘田 充 |
LOCATION: | BASE POINT |