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INTERVIEW インタビュー

3DCGの夜明け
日本のフルCGアニメの未来を探る〜

【第29回/2016年9月号】
月岡貞夫氏(アニメーション作家)

日本におけるフルCGアニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回は東映動画と手塚治虫の虫プロの黎明期からアニメーターとして活躍した月岡貞夫氏にご登場いただく。日本のテレビアニメシリーズの最初期において両社ともにゆかりの深い月岡氏が語るそれぞれのスタイル。いわゆるフルアニメーションとリミテッドアニメーションというそれぞれの表現方法をどのように見ていたのか。またそんな彼の視点から語られる現在のCG表現とは。深い歴史に裏打ちされた内容を語っていただいた。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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黎明期の東映動画と虫プロ、フルアニメとリミテッドの関係とは

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):月岡さんは黎明期の東映動画(現・東映アニメーション)と虫プロダクション(以下、虫プロ)の両方でお仕事をされ、当時の様子をいろいろとご存知かと思います。その両社の特徴において、東映動画はフルアニメーションの流儀があり、虫プロはリミテッドアニメを流儀としたとよく言われています。当時から両社に明確な違いはあったのでしょうか?

月岡貞夫(以下、月岡):東映動画と虫プロのアニメーションに本質的に違いはありませんね。というのも、初期の虫プロのアニメーターは東映動画出身のアニメーターばかりでした。紺野修司さんや、ひこねのりおさん、坂本雄作さん、その下の世代の先般他界した平田敏夫さん、杉井ギサブローさん、りんたろうさん、ほとんどのアニメーターが東映動画から移籍していましたからね。では、なぜ東映から虫プロに行った彼らがリミテッドアニメを作ったかというと簡単な話で、時間と予算の都合で省力化せざるを得なかっただけのことなんです。

野口:『鉄腕アトム』からの日本のリミテッドアニメーションとは、デザインと動きを“様式化”したものでなく、経済的な効果という面に重きを置いたものであるという定義だと思うのですが、そこで制作されていたリミテッドアニメーションは本質的にフルアニメーションと違いがない、ということでしょうか?

月岡:その通りです。本来的にリミテッドアニメーションはフルアニメーションの流れの一つにあると言えます。フルアニメーションの場合、基本的にひとつのキャラクターを動かすときは全身を動かしますが、日本式リミテッドアニメーションの場合は、できるだけバストショットを映したり、体を止めにして頭だけとか手だけを動かすという形にして、各パーツごとを部分的に動かしたりする方法を採ります。これは単なる省力化や経済的な効果を最大化したものなのです。1960年代のアメリカで始まった本来のリミテッド・アニメーションとは“様式”を表現するためのものでした。派生的に経済効果があったが、どちらも狙っていたものではあったのですが。私が個人的に好きなアニメーション作家で例を挙げると、バッグス・バニーを作ったテックス・アベリー(※1)、チャック・ジョーンズ(※2)なんて、リミテッドアニメーションの教科書ですよ。彼等のアニメーションには繰り返しが多いのが特徴ですが、フルアニメーションのように全部を描かずに、必要不可欠なところのみ動かす、あるいは繰り返しの動きをすることで独特の意味を込めている。たとえばテレビシリーズ、バッグス・バニーショーの中に出てくるヨセミテサムというキャラクターは、戦う前に自らを鼓舞するため棍棒で自分の頭をガンガン叩いてから相手に立ち向かうという、ギャグのひとつ“お約束”があります。これは怒りの表現をパターン化、つまり先ほどおっしゃった“様式化”しているわけです。様式というのは、歌舞伎の「弁慶の六方」のようなものです。本来だったら走るところを舞台という空間の制約上、走れないから演者は跳ぶことで表現する。そして見る側もその“様式”が何を意味するかを読み解くことを楽しみとします。そういう様式を作るアイディアと、どう表現するかがリミテッドアニメーションの醍醐味なのです。そうしたことは写実的なフルアニメーションでは起こりえません。

※1:テックス・アベリー
米国のアニメーター(1908~1980)。ワーナー・ブラザースやMGMで数多くの作品を制作。バッグス・バニー、ダフィー・ダック、ドルーピーなどの人気キャラクターを生み出した。このほか代表作に『ウッディー・ウッドペッカー・ショー』(1957)など。

※2:チャック・ジョーンズ
米国のアニメーター(1912~2002)。ワーナー・ブラザースでバッグス・バニーを主人公とした『ルーニー・テューンズ』シリーズを制作。ワーナー退社後は『新トムとジェリー』シリーズなどを制作した。『スカンクの恋』でアカデミー賞短編アニメ賞受賞。1995年アカデミー名誉賞受賞。

野口:当初、そうした目的を持っていたリミテッドアニメーションが、現在のように省力化の代名詞のようになってしまったのにはどんな理由があるのでしょうか?

月岡:それは手塚先生が、“手抜き”のアニメーションに技術を転用したからでしょうね。手塚先生も元々はリミテッドアニメーションのデザイン的な美しさに惹かれて、『ある街角の物語』(1962)(※3)を作っています。さらにそれをたどると、ジョン・ハブリー(※4)演出の『ルーティ・トゥート・トゥート(Rooty Toot Toot)』(1951)という作品に行き当たります。

※3:『ある街角の物語』(1962)
原案・構成:手塚治虫、演出:山本暎一・坂本雄作。第1回虫プロダクション作品発表会にて公開/38分/カラー・ワイド。

※4:ジョン・ハブリー
米国のアニメーター(1914~1977)。1935年ディズニーに入社。『白雪姫』、『ピノキオ』、『ダンボ』などのアートディレクターを務める。『ルーティ・トゥート・トゥート』で第24回アカデミー賞短編アニメ賞受賞。

この作品は平面的・直線的なキャラクターによる斬新なデザインで世界中を驚かせました。その影響のもと、日本では久里洋二・真鍋博・柳原良平らの「アニメーション三人の会」(※5)が実験的な作品を作りそれがブームとなりました。手塚先生もそれを横目に見つつ『ある街角の物語』を作ったというわけです。

※5:アニメーション三人の会
1960年代に草月アートセンターを中心に活動した日本のインディペンデント・アニメーションを代表するグループ。前衛的な作品を制作しただけではなく、上映会を開催し海外のさまざまなアニメーション作品を紹介した。この上映会は後の「アニメーション・フェスティバル」へと繋がる。

野口:『ある街角の物語』を作ったことで、『鉄腕アトム』(1963~66)でもリミテッドを推し進めればできると思われたのでしょうか?

月岡:おそらくそうでしょうが、そこまでのクォリティは望んでいなかった。当時の虫プロのアニメーターの生産量を考えると、毎週1話あたり3,000枚が限界だと考えて、それに合わせて枚数と動かし方を決めていきました。そうなったのも、手塚先生が本質的に“動き”の人ではなく、ストーリーを作りたいストーリーテイラーだったからだと思います。それがひとつの伝統を形作り、私も今は外国人に日本のアニメーションの特徴を聞かれた時も、「日本のアニメは動きで見せるものではなく、ほとんどはストーリーを見せるもの」と言っています。あともうひとつ手塚先生しか発想できなかったであろうバンクシステム(※6)を発明したことです。これは、先ほどの“様式“とは違い、まったく同じ映像を繰り返し使用することを言います。『鉄腕アトム』はバストショットに限らず原画を捨てないですべて再利用するというやり方で作っていました。ただ当時はそれでもアニメーターは足りず、外部の人を多く使って作っていました。赤塚不二夫さんとか藤子不二雄さんなどまで駆り出されていたのです。

※6:バンクシステム
アニメ作品において毎回決まって登場するシーン(メカの合体やキャラクターの変身など)をバンク(銀行)しておき、再利用する制作方法。『鉄腕アトム』では制作状況が切迫したため左記のシーン以外でも原動画を再利用し、別のストーリーにその絵を当て込めて新作を作っていたことも。

野口:そして時代を経るにしたがって日本のアニメ業界全体が、こんにちで言われる“リミテッドアニメ”に流れていったということですね。

月岡:当時の東映動画は変わりませんでしたがね。もう一点言っておかなければいけないのは、よく東映動画の方が作画枚数が多いと言われていますが、それは逆なんです。東映動画では進行さんが枚数を厳しく管理していました。つまり、枚数を減らせと言ってきました。むしろ、より少ない枚数でもっと効率よく作っていましたね。よく動いて見えるのと枚数の多寡は関係がありません。上手い人が描くと少ない枚数でもよく動いて見えるんです。私は2,000枚と言われたらその範囲で十分に動かせばいいじゃないかという考え方だった。

野口:東映動画の流儀というものはどのように形成されていったのでしょうか?

月岡:東映動画の流儀といいますか、演出技法のカラーを作ったのは芹川有吾さんだと思いますね。彼は新東宝で中川信夫さんの助監督をやっていた人で、僕の師匠でもあるし、パクさん(高畑勲)の師匠でもあります。つまり宮さん(宮﨑駿)もその流れにあるわけです。芹川さんは『安寿と厨子王』(1961)の助監督で存在感を発揮して、『わんぱく王子の大蛇退治』(1963)で初監督。当時、最高潮に達していたんじゃないですかね。彼は考え方が実写的でリアリズムに基づいた動きをアニメーションに求めるんです。ただ性格が真面目な方なので、それがフィルムにも現れているかも。彼の笑った顔を見たことがある人なんてあまりいないんじゃないかな(笑)。

『鉄腕アトム』から『狼少年ケン』へ

野口:月岡さんは最初は手塚先生のアシスタントで、手塚先生が原案を担当された東映動画の劇場作品『西遊記』(1960)のキャラクターデザインやストーリーボードを手がけられたそうですね。それをきっかけに東映動画に入社をされることになったのでしょうか?

月岡:『西遊記』の頃、私は手塚先生の代理で東映動画に派遣されていました。東映動画の企画部に白川大作さんという方がいて、彼は『西遊記』の助監督を務め、実質的に現場を回していました(白川氏は東映本社の人物で、東映動画の社員ではなかった)。その彼は手塚先生のファンで、手塚先生企画だということで、お手伝いで東映動画に通っている私の一番近くで接してくれて、いろいろとバックアップをしてくれました。当時の東映動画のアニメーションシステムではピラミッド組織で、チーフ、セカンドがいて、その下にインビトウィーン(動画)がいるという状態だし、学閥も多少あった。私は美術学校も出ていないイレギュラーで東映動画に入ったものですから、白川さんがいろいろと目をかけてくれて、「このカットをやってみな」と仕事を回してくれました。それで調子に乗っちゃってバンバン描き出しましてね(笑)。そして『西遊記』が終わったので手塚先生の元へ戻ろうという予定だったのですが、「月さん(月岡さん)は絵が描けるんだからアニメーションをやってみろよ」と言って会社と掛け合っててくれました。会社もウェルカムそこで私は手塚先生の了解のもとというか先生もそれを望んでいらっしゃった、西遊記が終わったあと先生の元に戻るはずがアニメがおもしろくて東映動画に移ったというわけです。それでも、東映動画終業後には毎日先生の仕事場に帰り、マンガのお手伝いはつづけていました。

野口:その後、月岡さんは東映動画初のテレビシリーズの『狼少年ケン』(1963)で演出とキャラクター設計を務められました。『鉄腕アトム』が1963年の1月放送開始で、『狼少年ケン』は同年11月放送開始。ずいぶん動きが早かったですね。

月岡:『アトム』が大成功して視聴率が30%くらい行っていたんです。それは当時としても異例で、テレビ局としては大騒ぎで、どこもアニメーション番組がほしくてほしくてしょうがなかった。東映の大川社長はNET(現・テレビ朝日)を持っていたから、NETにもアニメーションを出せと東映動画にすごいプレッシャーがかかってきたんです。最初に森やすじさんと大工原章さんに相談したそうなのですが断られてしまい、そこでお二人の推薦があって私の名前が挙がったようなのです。でも当時、会社が引けたあとは『アトム』をやっていたので、新しくテレビ作品をやるには手一杯だったんです。そもそも東映動画にいたのもカラーで劇場版をやれると思っていたからで、東映動画でテレビ作品をやる気なんて毛頭ありませんでした。でも会社がしつこく要請するもので、「私が好きなものを勝手にやらせてくれるなら」とずいぶん横柄な口を聞いたものでした。でも、会社にとっては渡りに船で、常務だったか専務だったか戸上さんは「やってくれるなら顔も立つ」ということをおっしゃいまして、私もそう言った手前、オリジナルをやらなくちゃいけないなと、『狼少年ケン』の企画案を出したんです。その頃はTBSも動いていましたし、CXテレビももう一本ほしいとかいいまして、当時のフジテレビの編成局長にも呼ばれたものです。(笑)。

野口:それはすごい(笑)。そんな時代だったんですね。

月岡:東映で作っても手塚プロで作っても構わないとも言われました。本当に作る人がいなくて困っていましたね。

子供に安心感を与えるCGアニメーションとは?

野口:現在、月岡さんは中国の大学でもアニメーションを教えられていますが、最近のCGはご覧になっていますか?

月岡:もちろんです。中国のアニメフェスティバルに学生が出品しているのですが、あちらのCGアニメ作品は上手いですよ。使っているソフトもアメリカのものですから。

野口:中国のアニメ業界は日本のアニメ業界とも深いつながりがあると思いますが、彼らは技術をどこから学んでいるのでしょうか?

月岡:圧倒的に3D・CGアニメはアメリカ、2D・アニメは日本ですね。大学の先生にもアメリカで勉強と経験をした人が多いですから、大学に良いソフトが持ち込まれていますし、3Dはアメリカの下請け2Dは日本の下請けをやっている会社が多いんです。10年くらい前は、日本にはまだなかった3Dソフトを学生が学習して使っていたこともありました。

野口:今、月岡さんの中国での授業ではどのようにアニメーションを教えられているのでしょうか?

月岡:技術はほとんど教えていません。“うける”という概念を教えるんですが、私は手塚先生とか石森章太郎さん小松左京さんなんかに接していて一番学んだことはこの“うける”ということなんです。私も視聴率戦争の中で働いていましたから良く解るんですが、日本の学生に教えるのも簡単ではないが、中国はもっとたいへんです。30年くらい計画経済が長くつづいたからでしょうか。
日本側のコーディネーターなんかも中国人も、何が分からないのかが、分かっていないんです。技術のことですと、キャラクターの歩きも走りもみなサンプルプリントを持っていますから、どこでもみな同じ歩きをします。私は、歩き方を教える時は根本的なところから教えています。ホワイトボードで順番通りに描いていって、それを学生に段階ごとに写真を撮らせたり描き写させたりして、まずは順序を覚えていってくれと教えています。できたものを見てコピーしているからいつまでも上達できないし、どの作品を見ても同じ歩き方なんです。中国にアニメーションを教える大学は2千校あるといわれますが、みんなデザイン系の先生かCG系の先生で、アニメーション系の先生はいないに等しいくらいなんです。だから動きに関してはまだまだといった感じですね。CCTVに『熊出没』というCGアニメーションのシリーズがあるのですが、動きそのものは非常にアメリカナイズされた動きで、クォリティはたかいもののリアクションもアメリカナイズされたくどいもので、しかもどのキャラクターでも同じ動きをするんです。データバンクのおかげなんでしょう、動きでキャラクターを表すという意識があまりない。

野口:CGだと枚数の感覚がないので、動かし方についてもまた違った感覚になりますね。

月岡:そもそもキャラクター(画)としての魅力をどこに置くかという話になってきます。みな同じ歩き方をしているようではキャラクターの魅力など出るわけもないし、CGでいえば枚数の心配は無用なのだから、アニメ本来の動きで魅力は狙えるはずだが、ここでもあまり意識されてはいない。話は少しかわりますが、たとえばちいさい子供たちに作画の絵と写真と同じようなCG画を見せると、子供たちは画を選ぶわけです。それは感覚的に自分たちが生まれて初めて描くときは手描きだから、こちらの方が身近で魅力的に映るんでしょう。動き方で言えば、一コマずつ息を吸うように体積を動かすというアニメーションの技法があります。これはリズム感とか描写力とか、相当に技術が要る手法です。そういうのを見ると子供たちは喜ぶんです。色の塗り方についても、わざわざクレパスで塗るような手法がありますが、これは何故か温かみを感じさせる。ある種のゆらぎです。それが快感に繋がるのでしょう。これはCGではなかなか出せない。私も数年前コマーシャルアニメを作った時に、クレイアニメのような塗り方をCGにマッピングするという手法で作りました。おそらく見ている人はスポンサーも含めてクレイアニメだと思っていたんじゃないかな(笑)。

野口:そうした手作り感がある種の安心感を人に与えるんでしょうね。

月岡:クレイの陰影とか凹みがそういう暖かさのようなものがでるのでしょうねえ。クレイアニメを作っている人なら分かると思いますが、僅かながら計算通りにはいかない動きが出るんですよね。それも含めて一種の温かみを与える要素となります。もっと言えばフィルムも同じで、CGだとノイズに映るようなものも、フィルムだと気にならない。フィルムをやってきた人だと、そうしたノイズを計算して入れることができるのではないかなと思います。だからコマーシャルを作っている時もコマを抜いたり加えたりして、わざとぎこちなさを加えていきます。そんなことは長編ではなかなか大変かもしれないけど、ショートアニメーションを分かっている人がそうした効果を入れることができたらCGでももっと手作り感のある温かみのある表現が可能になると思います。

野口:手作り感のあるCG表現というのが今後のキーワードではないかと強く感じます。今日本当に貴重なご意見ありがとうございました。

SADAO TSUKIOKA
1939年生。新潟県出身。高校卒業後、上京し手塚治虫のアシスタントを務める。1959年、手塚が東映動画で『西遊記』のプリプロダクションに参加したことをきっかけに、絵コンテ・キャラクターデザインを務め、その後、東映動画に入社。東映動画初のテレビシリーズの『狼少年ケン』で演出とキャラクター設計を務める。退社後は虫プロの作品に参加したほか、短編アニメーション『新・天地創造』で、ポーランド・クラクフ国際短編映画祭グランプリを受賞。NHK『みんなのうた』やコマーシャルアニメを手がけ、アニメーション作家として活躍。後進アニメーターの教育にも尽力する。現在は宝塚大学・芸術学科特任教授・大学院教授、日本大学芸術学部・大学院講師、中國美術大学・大学院客座教授、中國伝媒大学広南学院終身名誉教授、日本動漫協会・理事長など国際的に活躍。
Supported by Enhanced Endorphin
INTERVIEWER : 野口光一(東映アニメーション)
EDIT : 日詰明嘉
PHOTO : 弘田 充
LOCATION : 東映アニメーション

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