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INTERVIEW インタビュー
日本にフルCG アニメは根付くのか?
識者に聞く、和製3DCG アニメーションの未来
1980年初頭、日本にも商業 CGスタジオが誕生し始めた。その中でも、以下の 3社は日本の CG 史を語る上で欠くことのできない輝かしい功績を成し遂げたスタジオである。
1.JCGL / Japan Computer Graphics Laboratory 1981 年設立(1988年3月解散)
2.トーヨーリンクス 1982 年設立(2010年、(株)IMAGICA と事業統合)
3.セディック(SEDIC) 1983 年10月5日設立
(1986年、広告代理店I&Sの一部門に(現I&S BBDO))
木村 卓氏は、1985年からトーヨーリンクス(現、(株)IMAGICA)に在籍しているCG アーティストの 1 人である。Personal Links、Softimage、3ds Maxと、3DCGソフトウェアを変えつつも、常にツールを使いこなし作品を制作し続けている木村氏の映像表現は誰も真似ができない独特な世界観を有している。そんな木村氏に、CG 制作は何が変わり、何が今でも変わらないかお話を伺った。
【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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3DCG表現の変遷~『Bio Sensor』から『KUDAN』まで
東映アニメーション/野口光一(以下、野口):木村さんは日本のCGの黎明期からプロダクションで制作していて、オリジナル短編のCG アニメーション作品にも携わり国内外で高い評価を受けていらっしゃいますよね。『Bio Sensor』(1984) がスタートになるのでしょうか?
木村 卓氏(以下、木村):そうですね、当時はまだトーヨーリンクスのアルバイトでした。あの頃は線画の虎が歩くのを分度器で測って動きを入力していました。セットアップは全てFKなので誤差が大きく、足が地面に潜るなんていうのは当たり前だったので、肩甲骨で誤差を吸収するためのプログラム作成などを担当していました。当時はメタボールを開発していた頃でしたが、それまで球体しか作れなかったのが楕円も作れるようになったということでより少ない数のメタボールで虎に皮を被せることができるようになったとか、 そんな時代でしたね。
野口:レンダリンクはレイ・トレーシングですか?
木村:そうです、計算機は LINKS-1(※1)でした。
※1:LINKS-1
1982年、大阪大学工学部電子工学科の大村皓一助教授らが中心となり、並列処理によるグラフィック・プロセッサ "LINKS-1" を開発。その後、トーヨーリンクスにおいて、レイ・トレーシングの制作能力を大きく向上させた "LINKS-2" システムが開発された(参考:『コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション』 大口孝之 著/フィルムアート社)
野口:次の短編 『渚のペピー(英題:Peppy)』(1987) もその年 SIGGRAPH エレクトロニック・シアターに入選していますね、何か新しいことをやられていたのですか?
木村:ウクレレの弦が弾けたり、波飛沫や炭酸の泡の飛沫をパーティクルで作ったりしました。それらがガラスのテーブルに反射屈折していたのでレンダリングに 1 コマ 4~5 時間は掛かっていました。当時としては、世界的にもかなり高度な表現に挑んでいたと言えるのかもしれません。
野口:さらには個人でグラフィック作品 『The Alphabet』 シリーズを発表され始めたわけですが、複数年にわたって創作されていました。
木村:そうですね、『Peppy』プロジェクト終了後、時間をみつけてはコツコツと作り続けました。1990年にグループ展を開催したのですが、そこで全てのアルファベットが揃いました。
野口:A から Z まで、それぞれ新しい機能とか技術を使った表現になっているんですね。
木村:実はアルファベットであること自体はあまり深い意味はなくて、シリーズ化するためのモチーフに使っていただけなんです。新しいアプリケーションが登場したことで可能になった技法や、面白い表現方法を思い付いたときに色々と試しながらショーケース的に作っていきました。
野口:それからしばらくして、再びリンクスのオリジナル作品として 『櫻亭 A Season of Cherry Blossoms』(1996)を制作されました。本作ではハードウェア・レンダリングによるデフォーカス処理を施したそうですね。
木村:あの頃は、シリコングラフィックス(SGI) の Indy や Indigo といった当時のワークステーションを使っていました。もちろんソフトウェアでも表現可能でしたが、天文学的な時間が掛かってしまう時代でしたのでハードウエアでレンダリングしたわけです。その代わりテクスチャが 1 枚しか貼れないとか、反射ができないというような制限があったので、別途レンダリングした素材を合成したりしました。
野口:そして最新作が、『KUDAN』(2008) になります。とても美麗なビジュアルが印象的である一方で、あまりにもハイセンスな世界観で僕らは完全に置いていかれてしまいました(笑)。
木村:『KUDAN』は、わかりやすくするために説明的になり過ぎるとつまらなくなってしまうし、説明が足りないとわかりにくくなるだろうとは思っていました。山岸宏一さんにアニメーターとして参加してもらい、一緒に作っていったのですが、山岸さんのアニメーターとしての視点と私の監督としての視点が融合することでバランス良く仕上がったと思います。私が 1 人で作っていたらもっと難解になったはずですから(笑)。
野口:ふり返ってみると、リンクスではこのような形でショートフィルムを継続的に発表してきたことが判るのですが、会社としてはどのようなスタンスだったのでしょうか?
木村:ショートフィルムの制作はその時々で目的は異なっていたと思いますが、自分の中で共通しているのは、新しい表現を開発したり、提案することにあったと思います。会社としては映画もやるし、CMもやる、ゲームもやる、3DCGということでジャンルは限定していませんでした。現在も IMAGICAの中で"デジタルプロダクション"のCG担当部署として同様に取り組んでいます。
ブームになるにはある程度の物量が出てこないといけない
野口:今また、CGアニメの新しい波が来ているのではと感じています。10年ほど前にひとつの波があったと思いますが、残念ながら定着しませんでした。最近、2D ルックで作画をリプレイスするものや、『frends もののけ島のナキ』(2011) のような作品も出てきたので、ようやく日本でも CG アニメが定着していくのではないかと感じているのですが、木村さんはどのように思われますか?
木村:様々な要因があると思いますが、ひとつはコストが下がったということでしょうか。ブームになるためには、ある程度の物量が求められるわけなので、その意味では各制作現場で爪に火をともすようなコスト削減に取り組んででも作っていくしかないのかもしれません。観る側は作画とか、CGとか、そうした部分を選定基準にしているわけではなく、"面白そうなら観る" というスタンスのはずなので、その意味でも同時多発的に面白い作品をたくさん作っていくしかない。ただ、懸念しているのはつまらない作品が増えてしまった時に、その理由がストーリーや演出ではなく、CG のせいだと思われてしまうこと。観客の目が肥えてきたとき、「CG だからイマイチだったね」と言われないようにしないといけません。その意味では逆にハードルが上がっているような気もします。
野口:木村さんは輪郭線のある 2D ルックはお嫌いですか? 今までやっていらっしゃらないと思うのですが。
木村:2D ルック自体が嫌いなわけではないですよ。ただ個人的にトゥーンシェーダは、3D が透けて見えるので不自然に感じてしまうのです。
野口:なるほど。ただ、アニメ業界全体としてはツールの進化やノウハウが蓄積されたこともあり、そうした不自然さが大分解消されてきたことで作画のリプレイスという切り口から 3DCG が受け容れられつつあるように感じます。
木村:CGの制作現場にいる身としては2Dと3D双方の特性を理解した上で3Dならではの利点を追求したいと考えています。作画の良さはカットごとにベストなアングルやディフォルメができるところだと私は思います。3DCG の場合、ある角度からは良くても別の角度からはイマイチに見えたりしてしまう。アニメ的にはこうなってほしいというお約束みたいなものに十分対応できない。いや、物理的には可能ですがとても面倒な作業が必要になってしまいますね。
野口:まさにそうした手間が、最近はツールの進化によって大分効率良く行えるようになってきたように思うのですが?
木村:それでも、現場では相応の手数をかけているはずですよ。もちろん、そうした手間暇を受け容れつつ、観る側の期待に上手く応えていかなければならないという面も確かにありますね。
野口:3DCGでやる時には特にということでしょうか?
木村:3DCG で陥りやすいのが、こっちから見れば反対はこう見えるというパターン。あくまでも結果であって、作り手が "こうしたい" という意図を持って描いたわけではないというのが透けて見えてしまうと、凄く冷たい感じがするのです。別にそういうものを求めているわけではなくて、この時にこう見えたいというものを作らなければいけないのに、モデルは完璧だからどこから見ても大丈夫、ということに安心してしまう危険があります。
野口:昨今CG を使っていないことを宣伝文句にしてしまう傾向にあります。CGだから、デジタルだからダメみたいな意識が固定化してしまうのは、CG アニメの可能性を潰してしまうと思うのですが。
木村:それは本当に残念なことです。音楽でもシンセサイザーが出てきた時、電子音的だからと嫌う人がいたし、シンセサイザーは使ってないというのが売り文句にされることもありました。でも、いつの間にかシンセかどうかなんてどうでもよくなっている。結局、アニメーションはストーリーそのもので勝負するしかないはずなんです。絵画でも作品の良し悪しをアクリルとか油絵とか、そういうことで拘る人はいないわけだから。
野口:どうしたらたくさんの人が CG アニメを観てくれるのでしょうね。
木村:最近感じるのは、生まれた時から CG アニメが目の前にあって育った今の若い人たちと、僕らとでは見え方がちがうんじゃないかということです。世の中の見え方にしても作品の感じ方にしても。まったく同じものを見ていても、若い人の方が感動の度合いが大きかったりするじゃないですか。
野口:わかります。当社の作品で、現在放送中の『スマイルプリキュア!』エンディングのダンスアニメーションが好例です。プロデューサーたちは CG アニメが受け容れられるのか心配していたのですが、当の子どもたちはすんなり受け容れてくれています。ゲーム世代でポリゴンを見慣れていると CG には違和感がないのかもしれませんね。
CGは自分のアイデアを形にするための道具
野口:話は変わりますが、木村さんは何がきっかけで CG に興味を持たれたのでしょう?
木村:私が最初にCGに興味を抱いたのは、大学のゼミで「情報美学」(※2)に触れたことです。 創造活動を情報処理のように考えるというものです。無からは何も出てこないので、入力があって、変換があって、出力があるといった具合に。それをコンピュータの上でやろうとすると、どういう風に変換をするかという部分が大事になってきます。つまり、こういう画をつくりたいからコンピュータを使って描くというのではなくて、こういう考え方をした時にどういう結果になるか、コンピュータで再現して検証してみようというアプローチです。未だに自分にとっての CG は自分のアイデアとかイメージを形にするための道具というか、シミュレータみたいなものだと思っています。
※2:情報美学
記号論的および数学的方法で研究する <情報美学> は、自然界の事物、芸術的対象、芸術作品、またはデザインに観察できる <美的状態> の特徴を数値、記号クラスにより記述するのであるが、このことは、この美学がそれらの状態をある特別な種類の <情報> として、ほかでもない <美的情報> として定義することである。(中略)情報美学の記号論的および数量的美学のほかに、最近さらに、現代美学の第三の部門、いわゆる生成美学が発展した。1965年の『コンピュータ・グラフィックス』の最初の出版のおりに、この美学を、つぎのようなすべての操作、規則、定理の全体と考えた。操作可能な実質的諸要素のレパートリーにそれらを適用することにより、そこに意識的かつ方法的に美的状態が作り出されるのである。(中略)生成美学の意味する創造過程には構想の段階と実現の段階がある。(中略)生成的全過程は原理的にはつぎの図式のように経過する。 《レパートリー → プログラム →(コンピュータ → 乱数生成装置) → 実現機器 → 作品》 (出典:「情報美学入門」 M.ベンゼ 著/草深幸司 訳/勁草書房)
木村:CG をやっていて面白い部分というのは、意外な結果とか、自分が思っていた以上のことが得られるときです。手で絵を描いているときは大体みえてるのですが、CG の場合、特にシミュレーション系がそうなのですけど、パラメータを与えてやると想像していた以上に面白い結果が得られたり、考えもしなかった表現が得られたりと、偶然性みたいな要素があると思うのです。机上では面白いと思ったプランでも、 実際につくってみると意外とつまらないことも多くて、また違うプランを考える。そういう自分で手を動かしていいところを探るという過程が CG ならではの醍醐味だと思います。
野口:なるほど。そして、アニメーション制作ではアニメーター自身が実際にイメージした動きを自分でやってみた方が良いと言われていますよね。
木村:2D、3D を問わず、自分で体を動かしてみるというのは必要だと思います。ただし、3DCG の場合はそこで完成させる必要はなくて、道筋を見つけられればいいんです。例えば『KUDAN』のセリフは擬音語みたいなものですが、最終的には役者さんにアフレコしてもらいました。そのため、アフレコ収録時にどのように演技してもらうか考える上では、自分で一通り喋ってみて、それを画に当てながら試行錯誤しました。自分でやってみると色々と気づかされます。キャラクターモデルなんかも同じで、最終的に使わなくても 1 回作ってみると、形状の合理性を見出すことができるので、自分の中でモデリングのセオリーみたいなものを構築することができます。
野口:相手が生身の人間か CG(コンピューター)かを問わず、制作意図を伝える上では相応の "意図" を自分の中で持つことが大切、ということですね。CG や アニメーションなどの映像演出に対する理解という意味では、私たちの世代は技術畑から CG の制作現場に入ってきた人が多かったので、そうした知識が自然と習得でました。一方、今ではハードやソフトの進化によって CG や映像表現の原理原則を知らなくても一通りの表現ができるようになりました。そのような境遇にある現代の若いクリエイターたちを見ていてどう感じていらっしゃいますか?
木村:私からすると、技術的な要素というのは非常に面白い部分なんです。例えば、お酒飲める人からすれば、お酒飲めない人は人生損してるよね、と思うけど飲めない人からすればどうでもいいことですよね。技術的な部分を通らないのはつまらない気もするけど、多分そういう人からすればそうは感じていないんだろうなと思います。それに最新の市販 3DCG ソフトには既に十分すぎるくらい多彩な機能が搭載されているので、それ使いこなすだけで精一杯みたいなところがあるのではないでしょうか。
野口:そうですね。その意味では筆や色を全部知ってないといけないみたいな感じで、全ての機能を使いこなせないと真に良いものは作れないとお考えですか?
木村:いいえ、決してそうではありません。知らないよりは知ってた方がいいとは思うし、使いこなせるにこしたことはありません。ですが、肝心なのは必要になったときに "引き出せる" ということです。私も全ての機能を把握しているわけじゃありません。ただし、「これはこうすれば出来そうだな」とか、「この辺を調べればやれそうだな」といったことがなんとなく想像はつきます。
野口:「勘が働くか」というのは何事にも求められますよね。そうしたやり方に若い人はついてきますか?
木村:私の職場でも勉強熱心な子は自発的に試行錯誤していますよ。ですが自分が今、学生だとしたら勉強の対象が多すぎて爆発しているかもしれません(苦笑)。私が CG をやり始めた頃は、そもそも CG 制作をやってる人自体が少なかったので、将来のことなんて考えもしませんでした。面白いから始めたというだけです。未開の地で試行錯誤しながら、小さなことでも新たな発見があるのが面白かった。でも今では応用の時代に入ったのだとすると、先行する他の産業のように、適確なルールや技法を確立していく必要があるのかもしれませんね。
野口:そうすると、これから CG はブランド力やマーケティングといった、純粋な制作だけでなくより広い観点からビジネスとして業界を考えていくという、次のステージへ進む必要があるということでしょうか?
木村:難しいところですね。CG の制作現場としてもより広い視点からコンテンツ産業における立ち位置や取り組み方を考えていく必要はあると思うのですが、それを日本の中でどのようにやっていくのか、悩みどころは沢山あると思います。
野口:ハリウッドは分業が基本なので、アーティストはモデルならモデル、アニメーションならアニメーションに関する知識を蓄積してセンスを磨いていけば基本的に仕事をやっていくことができると思います。しかし、日本ではゼネラリスト中心なので CG 制作の全工程について一通り知っておかねばならない。そうした事情が作画の人たちが CG アニメへ移行する際の妨げになっているという面もありますね。
木村:北米のアニメ産業では、作画の人たちがデジタルに移行するにあたり、Photoshop 教室を開くなど、業界全体で移行できるような措置を講じていました。業界全体で 3DCG にしようという意向があって、作画アニメーターたちに CG アニメーションの方へ移ってほしいのであれば、その人たちの自主性に任せるのではなく、できるだけスムーズに移行できる仕組みを構築するべきです。会社単位なのか業界全体なのか、どのようなやり方が良いのか分かりませんが、まちがいなく組織的にやるべきでしょう。
野口:北米の場合は、より川上の企画や製作レベルの思惑から作画のプロジェクト自体がなくなってきたから、生きていくためには変わらなければいけないという状況もありましたね。
木村:そうした決断が本当に早いですよね。やるとなったら徹底的にやるみたいな。
野口:アジアでも韓国は CG アニメーションを産業として定着させようと国を挙げて取り組んでいます。ハリウッドの技術やパイプラインを取り入れながら着実に発展させているようです。そういった世界的なトレンドの中で、日本がガラパゴス化してしまうのではないか。CG・映像の制作技術が均一化してきたときに、フル CG アニメはコンテンツとし物足りないのか、まだまだ魅力があるものなのか、それともそもそも CG アニメの文化は日本には存在しないのか、作り手としては悩ましいです。
木村:これまで世界中のアニメーションフェスティバルに参加させていただく機会がありました。その中で少し感じたのは、CGは手業はすごくかかっていても、その苦労が直接見えにくいためか、同じ土俵で戦えてないのではないかという疑念です。
野口:海外でもそうした感覚はあるわけですね。CG はルックが綺麗に見えがちですし、作画のような汚れや崩れが垣間見えたとしてもそれが作り手の熱意や必死さとは受け止められずにただのノイズと捉えられてしまう(苦笑)。CG もきちんと手間暇をかけてるんですよと伝えるにはどうしたらいいですかね?
木村:CG アニメを紹介する際には、技法だけでなく、作り手の意図や試行錯誤といった背景にある部分も伝えていく必要があるのかもしれませんね。あとは基本的に良質なものを作るしか無いと思います。手間隙はもちろんのこと、きちんとやる人は日々練習したり、センスを磨いたりしています。言うまでもなく、CG アニメはツール(道具)があれば作れてしまうというわけじゃありません。それは、作画でも同じなんですけどね。道具があればという意味では、紙と鉛筆さえあれば誰でもジブリみたいなアニメが作れるということになってしまいますから。
CGWORLD・沼倉:横から失礼します(笑)。これまでお話をとても興味深く聞かせていただいてきたのですが、これまでのキャリアを通じて "日本ならではの CG 表現" といったようなものを感じたことはありましたか?
木村:最近はそうした部分がむしろボーダーレスになってきていると感じます。日本のアニメかと思ったら海外の作品だったり。ただ、誰が作ったかとは別に、"日本人のDNA" みたいなものはあると思います。これまでにも日本文化の中で育まれてきた文法や表現が、DNA みたいに海外のクリエイターにも受け継がれているように感じることがありました。それと同様に、"CG アニメとしての新たな DNA" を作っていければいいですね。ひとつの見せ方の文法とか、みんなで色々と作っていく中で組み上がっていくというか、受け継がれるようなものが出来れば作り手としては本望です。
野口:木村さんご自身はこれからどのような方向に向かわれていくとお考えですか?
木村:私としては CG 表現ならではの "個性" が発揮しきれてないと考えています。作画のアニメの延長だったり、実写の延長だったり、そこに積み上げてきたものはあるけど、CG としての見せ方とか、表現というのは、まだまだ開拓の余地がある気がします。そういったところをもっと探っていきたいですね。国内外のインディペンデントのアニメーションを見て感じるのが、表現がすごく自由だということ。予算も少なくて、尺も短いけど自由にやっている。そういう自由さを CG はまだ獲得できてない気がするのです。それは、ストーリーありきでそれに見合った表現ということかもしれないし、表現を模索する過程でもっと何かできる可能性もあるはず。最終的には、CG という括りで括られなくなった時が、ゴールというか、そこに到達することがこれからの目標なのかもしれません。
野口:ぜひ、そんな作品を期待しています。今日は貴重なお話ありがとうございました!
TOYO LINKS / LINKS / Links DigiWorks / IMAGICA フィルモグラフィー
1984年「Bio Sensor」 監督:福本隆司 CGデザイナー:林弘幸、木村 卓ほか 制作:トーヨーリンクス/大阪大学
©2012 IMAGICA Corp.
1987年 「渚のペピー(英題:Peppy)」監督:Art Durinski、福本隆司、林弘幸、鈴木美智子
CGデザイナー:木村 卓ほか 制作:トーヨーリンクス
©2012 IMAGICA Corp.
1996年 「櫻亭 A Season of Cherry Blossoms」監督:松岡康二
クリエイティブ・ディレクター&デジタル・アーティスト:木村 卓 制作:リンクス
©2012 IMAGICA Corp./Koji Matsuoka/Jun Miyake
2008年 「KUDAN」監督:木村 卓 アニメーション:山岸宏一 制作:リンクス・デジワークス
©2012 IMAGICA Corp.
1986年〜1993年 「The Alphabet」
木村氏の個人制作プロジェクト。アルファベットをモチーフに3DCGで描かれたグラフィック連作である。
©Taku Kimura
「A」は、1986年春にリリースされた"TRACY"(レイ・トレーシング・ソフトウェア。以前のものと比べ、輝度計算式が改良され質感表現が飛躍的に向上。またデータ形式がバイナリからアスキー化された)ならびにイメージ・スコアのテキスト用に、受注案件の合間をぬって約24時間という短い時間で制作された。(PIXEL誌・1986年8月号)
- 木村卓:Taku Kimura
- 1963年、東京都出身。日本大学芸術学部美術学科卒業後、(株)トーヨーリンクス(現、IMAGICA)に入社。現在、アートディレクターとして CM、映画、ゲームなどの CG 映像制作に携わる。2008年制作のオリジナルショートムービー 『KUDAN』 では、Ars Electronica にて "Award of distinction"、第12回 文化庁メディア芸術祭 でアニメーション部門 優秀賞など、国内外のコンペティションで多数受賞。1991年より日本大学芸術学部デザイン学科非常勤講師を兼務。(株)IMAGICA デジタルプロダクション部にて、アートディレクター/CGアーティストとして活躍中。 (株)IMAGICA デジタルプロダクション部 1982年に前身となるトーヨーリンクスを創設。世界に通用する斬新な技術とクリエイティブの挑戦を続けてきた30年の歴史を誇る制作集団。並列処理のコンピュータグラフィックス(CG)システム LINKS-1の開発とレイトレーシングを実用化した世界でも唯一のCGプロダクショ ンであった。その後リンクス(1988年)、リンクス・ワークス(2000年)、そして2010年に(株)IMAGICAに事業統合と形を変えながら、世界の先端をいくCG作品を作り続けている。
- (株)IMAGICA
デジタルプロダクション部 - 1982年に前身となるトーヨーリンクスを創設。世界に通用する斬新な技術とクリエイティブの挑戦を続けてきた30年の歴史を誇る制作集団。 並列処理のコンピュータグラフィックス(CG)システム LINKS-1の開発とレイトレーシングを実用化した世界でも唯一のCGプロダクショ ンであった。 その後リンクス(1988年)、リンクス・ワークス(2000年)、そして2010年に(株)IMAGICAに事業統合と形を変えながら、世界の先端をいくCG作品を作り続けている。 http://www.imagica.jp/
INTERVIEWER : | 野口光一(東映アニメーション) |
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EDIT : | 林伸彦(モーションビッツ)、沼倉有人(CGWORLD)http://cgworld.jp |
PHOTO : | 弘田 充 |